ガラスの目をした猫とトコトコ

とりとめのない話をします

世界から猫が消えたなら

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世界から猫が消えたなら


ようやく読み終えたので少しだけそのことを書こうと思います。

ネタバレしながら書いていくのでこれから本読む方はお気をつけ下さい。












ひとまずあらすじだけ説明が面倒なのと本題はそこじゃないので引用します。

郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたりぐらし。そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命がわずかであることを宣告される。絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。
その男は自分が悪魔だといい、「この世界から何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得る。」という奇妙な取引を持ちかけてきた。僕は生きるために、消すことを決めた。
電話、映画、時計……僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。

いのちの話でした。


消していったものは確かに無くても生きていけるモノばかりだったかもしれないけれど、それでも僕という存在はそういったモノを通して希望や絶望、様々な物をもたらして僕としての形を作っていたんだと。


話が進むごとに僕という存在を作っているものはひとつずつ消えていきます。





そして世界から時計が消えました。

時計屋を営んでいる父さん。
母さんが死んでから一度たりとも会わなかった父さん。
母さんが死ぬ前だって家族を「する」ことが出来なかった父さん。

父さんはどうなったんだろう。



時計が消えたと同時に悪魔の計らいでもうひとつ世界に変化がありました。

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画像はごろごろにゃんすけの村里つむぎさんによるコラボイラスト



飼っていた猫のキャベツが喋り始めました。
母さんが死ぬ前に飼っていた猫のキャベツ。
僕は悪魔と出会ってからキャベツのフーカフーカという感触、温もりを確かめて、自分が生きていることを確かめていました。



人の言葉を喋るようになってからはお代官様(僕のこと)はいつも要求とずれたことをしてくるとか、猫まんまは人間の残飯だとか本当はキャベツのことをわかっているようでわかってなかったんだと。

それでも母さんが死ぬ前、母さんと時間を共にしてきた猫なのだ…と僕はキャベツに話をするのですが、キャベツは母のことを覚えていませんでした。



けれどある写真を見せるとキャベツの様子は変わりました。

母さんが死ぬ前の旅行の写真。
キャベツも一緒に連れて行った旅行の写真。

母さんのことは覚えていないけれど、写真を見たら幸せな気持ちだったことを思い出したと。



猫は太陽が昇ったとかお腹がすいたとかそういう自然現象があるだけで、時間というものは人間が決まりを作っているに過ぎない…と思うものの、その「時間」の感覚でしか母さんとのこの写真を説明出来なくなってしまう。

でももう世界に時計は無くて、そんなこともキャベツには伝えようがありませんでした。



母さんとの時間を知っているのはキャベツと僕と父さんだけになった世界で、悪魔が次に選択したのは



猫でした。





そしてこの後は表題通り、『世界から猫が消えたなら』を僕は考えることになります。



電話、映画、そして時計が消えるまでの話の中に自分の感想は勿論あるのですが、整理が出来ないので後半のエピソードのことだけに集中しようと思います。






悪魔が去って目を覚ますといなくなっていたキャベツ。

キャベツがいなくなったらを想像して必死に走り回る僕。




このあたりからずっと泣いてました。

フーカフーカという感覚を二度と確かめられないまま生きていく僕、僕とそして僕の中にあるもういない母さえ消えかけていた僕の姿から喪失はイヤでも伝わったからです。



自分はまだ「喪失」というものを恐らくまともに経験していません。

それでも僕が何かを感じたのは多分これから喪失するモノや人のことを思い浮かべてしまったからだと思います。

でも喪失とか死については、生まれ変わりなどないとか意識は有限でないとか目が覚めなくなるその瞬間どうなるんだとか考えるたびに、身体が冷えて呼吸が苦しくなって、心臓も荒ぶるような感覚になることはこれまでも度々ありましたが、涙が出るほどに胸の締め付けられる思いをしたことはほとんどなかったと思います。





僕は映画館だった建物の中で昔の恋人と共にいたキャベツを見つけました。

自分が生きていること、キャベツがまだいることを確かめるようにしてフーカフーカという感触に手で確かめる僕。



そしてキャベツと再開した僕に彼女は手紙を渡しました。
僕がほんとうに苦しんでいるときに渡して欲しいという言葉を受けての母さんからの手紙でした。



母さんからの手紙にあったのは死ぬまでにやりたい十のこと…ではなく、僕の良いところが十個書かれていました。

これだけ忘れずに生きて欲しいと。



母さんが言い出した旅行、あれは母さんが僕と父さんのために言い出してくれた旅行だったんだと気づいて僕は泣き出しました。

死ぬまでにまだやるべきことがあるのかもしれないと思ってモノを消していった僕。

けれど母さんは自分のためじゃなく僕と、そして父さんとのために時間を使うことを決めていた。






以前何かの文章を書いたときに自分はアルバムを見るのが苦手だと言いました。

そのときは「喪失」が想像できて泣いてしまうからと書いていましたが、それはきっとひとつの理由ではあるけれど、大きな理由ではないのだと思います。



昔のアルバムに写っているのは父と母と、そしてそこで楽しそうに笑っている自分の姿だったり、遊具で遊んでいる自分、公園で一緒に遊んでいる自分と母と、他にも弟といる姿だったり。



世界から猫が消えたなら』を読んで考えが変わったのは、そうした情景を写した写真は僕が母から受け取った手紙やキャベツと一緒なのだと思います。



僕が涙したように、母や父が、弟が僕のために使ってくれたたくさんの時間。
喪失がその先にあるとしても託してくれたたくさんの時間。
それらが作ってくれた自分の居場所がかけがえのないものだったりその途中でこぼれたものだったり、今もずっと持っているものだったり全部を実感していたからこそアルバムを見るのが苦手だったのだと思いました。



これを書いている途中にも涙が溢れて止まりませんでした。
もう自分の頭ではぼんやりとしているけれど、たしかに覚えている母の、父の、弟の、いろんな笑顔だったりどこか忘れてたものを思い出しては胸の締め付けられる思いがしてどうすることもできませんでした。

そして本の中の「僕」と同じで、くれた時間に何か返せたのか。
そんなことばかり考えてしまいました。





手紙を読み終えた僕にキャベツは猫を消すことで生きていて欲しいと言いました。

でも僕はもう決めました。

キャベツは消さない。

世の中に溢れているモノが存在している理由はわからなくとも失われる理由はきっとないと気づいたからです。



誰かにとっての何か。僕にとってのキャベツ。



猫を、キャベツを消さないことでようやく僕は言えました。



母さん、ありがとう。





自分は感謝している人に何度ありがとうと言えたのかわかりません。

僕のように、無くなって初めて気づいたり、少し止まって考えれば重要なことを目先のどうでもいいことで押し潰したりしている気持ちが痛いほど伝わりすぎて、その言葉に僕も後悔の念やかけがえの無さを感じて泣きじゃくるしかありませんでした。





自分の死を受け入れた僕は悪魔にサービスとして自分の身の回りを整理する時間を貰いました。

モノを捨てて、葬儀の予約をして。




そうして最後にキャベツをどうしようか。

思い浮かべたのは父さんの姿でした。



母さんが残りの時間を使ってまで望んでいたこと、父さんと僕がまた話が出来るように望んでいたことを思い出して僕は手紙を書きます。

書いて、思い出しました。



父さんが切手をいつも僕にくれたこと。

父さんのくれた切手が想像もできない遠い場所からやってきたこと。

郵便配達員になったきっかけが父さんのくれた切手だったこと。





寝ずに手紙を書き終え朝を迎えた僕はポストに手紙を投函…をしようとしたが急いで家に戻りました。

思い立ち郵便配達員の制服を着て、キャベツを自転車のカゴに乗せて、父さんのいる隣町へ近づいていく…



ここでこの本のお話は終わります。




僕は父さんの元にたどり着けたのか。

最期に会って何を話すのか。

僕は死に際に何を考えるのか。

僕がいなくなったらキャベツは何を思うのか。





僕がどんな選択をしたのか、どう生きたのか。想像するしかないけれど、自分は僕が父さんに会えたのだと、僕の生きた印であるキャベツと共に父さんはこれから生きていくのだと、そう思いたいです。

父さんの元へ向かうキャベツと涙で顔をぐちゃぐちゃにした僕の情景を想像しては胸に重たいものを感じるような気がしました。

それでも最後は体にまとわりついて気だるさが消えないような憑き物は落ちていったような気はしていて、それはきっとキャベツがいるからなんだと思います。






書いてるいま現在進行形で泣きすぎて頭が痛くなってきたので今回はまとめとか短く終わろうと思います。

短い話ながら自分が省略してるところもそこそこあるので、本を手に取って読んで欲しいなあとは思います。

自分も感想は気になるので。



自分がこれから生きていくうえでこの本を読んで感じたことはきっとそのうち忘れます。

忘れるけれど、ふとした拍子にこの本の存在を、僕の存在を、キャベツの存在を思い出せるように生きていきたい、アルバムに閉じ込めてあるかけがえのない時間を大事に出来る感性を失わないように過ごしていきたいと心から思いました。



「君がここにいたら 話がしたいよ」

そこにいない誰かを思っては胸が締め付けられても、そこにいた誰かのことを思い出している僕はまだ生きているのだから、と思っていたいです。




映画版もストーリー変えてきて配信もしてくれているらしいのでそのうち観てみようかなと思います。

多分また泣くから人前で観れんけど。




それではこんな駄文に最後まで付き合っていただきありがとうございました。

また何か書きたいことが出来たらちょっとずつ文章にしたいです。



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さようなら。