ガラスの目をした猫とトコトコ

とりとめのない話をします

何か変わったのか

こんなこと書いてもう2年が経つのかとふと懐かしくなったので適当に書きます。



2年も前の自分は凄くかしこまってブログちまちま書いてたものの今はそんなこともなくなり、その日起きたどうでもいいことだったり観てきた映画の話だったりちょっとずつ在り方は変わってきてるのかもしれないです。




それでも昔の文読んで伝わるのはこの頃の自分が他に自分を表現をするものを知らないからこそ躍起になって書いてたのもあるんだろうなとあらためて気づきました。
悪く言えば心に余裕が全然ないからどうにかして爪痕を残そうとしてる様子がくっきりと残っているけど、それも自分の大事な一部なのかもしれないし。



じゃあ今表現できる手段が他にあるのかって言われたらそんなこともなくて、2年前に書いて「普通」についての自分への恨み言だったり考えはずっと残ったままで、2年経った今でも自分の成すべきことや楽しんでることに対してずっとマイナスの地続きのまま来てると言われたらそうとも言える。
基本物事に自信がないしね。



スタートラインに立とうとするのも精一杯で、そう思ってること自体も完全に不貞腐れてて、本当は何にも真剣じゃないのかもしれないと気づきそうになることがたまにありました。

最近はそういうのも無くなったけどそれは少し前向きになったとか自信がついたとかそういうことじゃなく本当はそう考えるとイヤだって諦念なのかということも勿論あるのです。



そんな中でも最近気づいたことといえば好きな人たちのやってることの輪に一緒に加わって自分もなんかしてみるとか、その人たちのことを知るためにやっていることを模倣するとかそういうことが今までずっとやってみたかったことなのかなっていうのがあります。



このブログもそうですけど思えばずっと高海千歌ちゃんという女の子の幻影を追いかけたり盾にしたり叱咤されたりしていろいろ考えたり動機にして何かやってたんだなあ…となんとなく最近感じています。
言うまでもなく他にそういう動機になってきたものは沢山あるけれど長くなるので今は千歌ちゃんの話だけします。



僕は千歌ちゃんと一緒に何かしたかったのかもしれません。
一緒にしたいというか、自分でなんかやってみてそれでもって千歌ちゃんに報告するっていう方が正しいのかな?


勝手に自分のことを重ねてしまったヒトだけれど、千歌ちゃんの歩みが僕にとってこうあれたらよかった、嬉しかったっていうものだったからこそ、ずっと対話をしようとしてたんだと思います。

そしてそれは多分昔の自分とお話するっていうことと一緒だったんじゃないかな、と。



まあ別に胸を張って生きていけてるとかそういうわけでもなくて、自分も偉そうなこと言ってけっこうここ2年の間に逃避に走ったことも多々あるのでたまに忘れてたまに思い出して、っていうのが千歌ちゃんと僕の関係だったと思います。



それでもずっと忘れてることが無くて良かった、きっと忘れることはなかったんだなと思うことが単純に2つあって、1つはまあ日常生活の中で今のところどうにか生きていけてるし間違いなくその活力のひとつを担ってくれてたっていうことと、もう1つは単純に趣味とか思考が充実したっていうことです。



前者は言うまでもないけど単純にアニメの何話が何日後とかあと数週間でライブだとか、そういうのを動機にして過ごせてた部分もあれば、ここでは彼女たちの言葉でちょっぴりにしろめちゃくちゃにしろ歩いてきたっていうところは事実としてあるので本当に感謝しかないです。



後者はまあ後者って言ったのに2つくらいになりそうだけど、単純にコレやってみようって事に最近手を出せたのが凄くデカいというかこの作品観てなかったら間違いなくやってなかったものに出会えたことが一番自分のなかで分かりやすいです。
まあ、言うまでもなくギター買ったことなんですけど。

ヘタクソなギター引っ提げて家に帰って夜だったり休みの昼間だったり自分の好きな人たちの音と一緒に自分のたどたどしい音に包まれる感覚が半年くらい心地よくてまだ続けられてます。

ひょっとしたら千歌ちゃんがスクールアイドル始めたとしたらこんな気持ちだったのかもしれないし、好きな人たちに何か伝えたい返したいっていうのも今では凄く分かるから、そういう意味でもなんかアウトプットするっていうのはどんな形であれ千歌ちゃんと一緒のことができて良かったんじゃないかな?と勝手に思ってます。

とにかくこれ買ったことで彼女とちょっと並んだかな?って感じることは少なからずありますね。
出来に関わらず、何かやる原動力あったんだ!みたいな感じで。
まあそのやる気を本業というか本筋に活かさないとな…っていうのもありますが。



あと思考するというかモノの見方はいい意味でちょっと変わったのかなとは思います。名前出したがりなのでまあ出しちゃうんですけど、僕の敬愛するBUMP OF CHICKENの音楽をもう一度聴き始めたのは間違いなくこの作品があったからって言えるので。

刺さるというかピンポイントで何か感じ取った部分が多く感じ始めたのは自分の境遇のせいもあったかもしれないけれどそれでも何か感じるアンテナは2年前書いてたときよりも少し広くなったと思います。

感じるアンテナが広くなったっていうことはそれだけ自分が何か感じてることに自覚してるってことで、自分のことを少しはちゃんと考え出したってことだと思うので。
それがすべて行動に伴ってるかは置いといて浅いものだとしても自分の中の哲学というか原理みたいなものを少しだけ自覚できるようになれたんじゃないかなと。



千歌ちゃん(だけじゃないけど、)がくれたものはこの2年沢山あって、それを全て受け止めて何か出来たわけじゃないので悔いたり恥じたりする部分も沢山あるけど、いくつかは何か出来たから良かったんじゃないかなとちょっとだけ思えるようになったのは彼女と出会ってからの少しの変化かもしれないです。



千歌ちゃんと一緒に歩めたのは彼女が求めてたのが大層華やかな結果だけじゃなく、もっと手元にある日常の中の幸せのような何かだったから僕とずっと離れないでいてくれたかのように今日まで来たのかもしれないです。

たまに彼女の形を忘れてしまうけど、その度に思い出せるほどに彼女の姿に何回も何か貰ってたのはやっぱり事実だから、最近そういう風に感じなくなってきて何か麻痺しているようだったけれどやっぱり思い返してみて彼女の存在が所々にいたことを思い出したのでこういう場所のこういう形で少しだけ残そうと思いました。
また不貞腐れたようにあまり話してなかったけれど、こうして何かに書き起こしてみると思い出せたことも、その度に感じるほんのりとしたあたたかさもまた戻ってくるので自分にとってはいい機会になりました。



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これからも節目節目でちょっと会っては少し話してはまた進んで、そういう風にやっていけるのが僕にはずっといいのかもしれません。

凄まじい光を放つ輝きを受けてもこうやってゆるやかに進んでいったっていいじゃないか、なんて笑いながら話せたらそれが一番いいなっていうのが今の自分の気持ちです。