ガラスの目をした猫とトコトコ

とりとめのない話をします

無題

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家の冷蔵庫にはこんな紙が貼ってある。

これ書いたのいつだったかは覚えてないけど幼稚園のときくらいだったか、まだ小学校には上がってなかった5歳くらいの頃だったかな。



といっても自分で考えたわけでは勿論なくて当時母が買ってくれていた「コミックボンボン」で連載してた「SDガンダム フルカラー劇場」の一節だったはず。

ガシャポンSDガンダムが流行ってた時の4コマギャク漫画で、なんの回かは忘れたけどたまたまそこに載ってたセリフを5歳くらいながら良い言葉だなってテキトーな紙に書いて、それを母が良い言葉だねって2018年現在までずっと貼ってある。



この言葉、あと何年残るのかな。

やっぱりこういうモノってどうしてもいつかは無くなっちゃうじゃないですか。

自分がもし父親になってお爺ちゃんになって子供とか孫にこの話をしても、当時母と自分が感じたインスピレーションとか良い言葉だなっていうの全く伝わらなくて、当事者である誰かがいなくなればこの言葉も自然と消えていってしまうのだろうし。



今やってるみたいに文章とか写真とか何でもいいからデータとして保存しても決定的に伝わらない残らないものがあるのは明白で、この紙ってきっと自分にとっても多分母にとっても宝物なんじゃないかなと思ってもその宝物もずっと残らないっていうのが現実で、ほとんど命といっしょなのかな。

それとも思い出なんだから自分たちの命とかと紐付けされてて当たり前なのかはわからないけど、とにかくいつかは物理的だけでなくもっと観念的な何かって消えちゃうんだなと。



書いてて思い出したことがもう一つあって、これも同じくらいの年齢のときに描いたものでアンパンマンの絵がまだ写真立てに入って部屋に飾られてる。

当時の自分が何を思ったのかは知らんけど「クイズ」って書いてアンパンマンの絵を書いてそれを当ててくれて絵を褒めてくれたのを喜んだんだっけな。



記憶がどこまで続くのかとか、ものが消えていくことをたまに考えてしまうけどそのたびに怖くなる。
呼吸に詰まったような感覚がするときさえある。



明日もしこの紙が無くなったらきっと喪失に襲われる。それは思い出がくっついたモノが無くなったというより、ああ、終わるんだ、消えるんだって自覚したとき心のピースがひとつひとつ無くなっていくことが多分怖いんだろうな。



こんなことダラダラ長くここまで書くほどのことじゃないのはわかってるんですよね、向き合う機会に差はあれど誰でもわかってることだから。

宝物が消えたら自分が今度は誰かの宝物を作ってあげなきゃっていうのもわかってることで、それは丁度母がしてくれたことだから。

というかもしこの言葉が消えるときが来たなら、やるべきなのはこの言葉そのものに収まらない、あのときのあの気持ちがDNAみたいに伝わるようなことなんだろなと思うんです。それは些細にしろダイナミックにしろどんな方法でも良いけれど、結局これも当たり前のことで書くようなことでもなかったりするんですけどね。



今の自分にはどうやってそれをしていけばいいのか全然わからないけれど、いつかわかるようになるのかな。

命の話は自分にはどうしても荷が重いからモノとものの話をしてみたけど、結局命の話なのかもしれないしよくわからない。



でもやっぱり終わることが前提であるから刹那的になったり人に何か渡していくことを綺麗事とは言いたくないなっていうだけですね。
ここまで書いちゃったし、未来の自分がここで書いたものあんま否定しないで欲しいな~。



何書いてるかわからなくなってきたし馬鹿の書いた長文みたいになってきたのでそろそろやめます。




魔法の料理、こんな良い曲だったんだなって感じたので少し書きました。