ガラスの目をした猫とトコトコ

とりとめのない話をします

ダイヤモンド

つい先日旅行に行きました。

もう20歳になっただけに今までどうだったとかこれからどうしていくかとかそういう話を同級生とする機会になりました。



僕の大好きなBUMP OF CHICKENには「ダイヤモンド」という曲があります。

つい最近まで行っていた「BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER」の公演の中で藤原さんはこの歌が出来た時の事を語ってくれました。
この歌が出来た当時は藤原基央さんもまた20歳だったこと。周りの友人とこれからの人生どうすんだとか色々話したこと。会場にいるひとりひとりが今までどうやって歩んで何をしてきたとか人生についてちっとも知らないとしても携えて欲しい歌があること。




同級生が自分を指して浪人前のお前はどこかで必ず失敗する人間だったという話になりました。
その通りだと思いました。

2年前、同級生が先へ進んでいくのに自分は停滞することその事実と共に「人を嘲って生きてきた自分」の周りに誰もいないことを感じました。
罪の意識があっても、あるだけ。自分を恥じるしか出来ないことすらも逃げ道に感じているようでそのうち自分のような人間は人と関わるべきでないと思いました。

もう一つあります。
ふと自分の掌を確認してみました。
何もありませんでした。

華々しい結果や賞賛が無くとも「輝いていた」といえる証明が自分の手元には何一つありませんでした。
周りを見て「凄いね。」で今まで済ませて何とも思わなかったことがどんどんのし掛かってきて何も考えたくなくなりました。



BUMP OF CHICKENと再び出会ったのも2年前です。

「Butterfly」という歌があります。
量産型が自らの世界を作り変えるその姿が僕をもう一度BUMP OF CHICKENと向き合わせてくれました。
かつて惹かれた彼らの音楽から俺はこんなにも遠ざかっていたのかと感じました。

僕の日常に無くてはならないくらい本当にBUMP OF CHICKENの事が好きになりました。



これからどうしていくのかという話になった時に手元に残った小さな世界、せめて家族だけでも幸せに出来ればいいと思いました。今まで恥じている分は償えないから、せめてそれだけ出来れば。

これだけBUMP OF CHICKENの事が好きでも「ダイヤモンド」の通りになれていないと思います。
弱い部分も強い部分も自分を受け入れているとは言えない、自分の声を本当はまだ聞いていないフリをしているのかもしれない。

ただ、「ダイヤモンド」を聴いたとき自分の足跡というのは感じるようになりました。
BUMP OF CHICKENの歌を聴いて自分のエンジンをかける。
日常を過ごすだけでも誰かの手に引っ張ってもらわないと直ぐにめげてしまう弱い自分だからこそ出来るエンジンのかけ方のおかげでBUMP OF CHICKENが僕にくれた、くれるものを毎日のように考えることが出来ました。



僕がずっと欲しがっていた、誰かが持っている価値。
BUMP OF CHICKENの歌は長い時間ずうっと考え続けて少しだけ僕の一部になりました。
その少しが今の僕が誰かに見せられる僕の価値だと思います。



これを書いた意味はほぼ無いです。
ただBUMP OF CHICKENがくれたもののお陰で今は「輝き」というものについて穏やかに考えられるようになったというただの覚え書きです。

BUMP OF CHICKENがくれた、小さな芽がこれからもゆっくり育っていけばいいな、これを読んでいる方にも幸が訪れればいいなと思います。



彼らの歌をもう少し自分のモノにすることが出来たならまた何か書きます。
では。