いちリトルデーモンの墓場

創作物の感想の雑記を載せます

CHICKEN'Sトーク④ ユグドラシル 前編

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どうも。この記事も4回目になりますがいまだ書き出しに悩んでしまいます、馬です。

今回は4つ目のアルバムユグドラシルです。
FLAME VEIN~jupiter期のストレートな言い回しがだんだんと抽象的というか、頭を悩ませることもあれば日常の場面でスッと心に入ってくるような表現が多くなってきたのもこのアルバムからとよく言われますね。
多くの方が「ユグドラシル」については哲学性を含んだ最高のアルバムと評しているように、例に漏れず僕もこのアルバムが大好きです。ユグドラシルが青春という方もよく言われるBUMPの世界ってどんなものなんだろうという方のどちらに向けてもこのアルバムが好きになれるような内容になればと思います。

前置きはここまでにして、さっそくやっていきましょう。


Asgard

アコースティックギターによるインスト曲。
THE LIVING DEADユグドラシル以降のアルバムもそうなのですが、BUMPのアルバムはすごく物語を感じます。砂漠へ、海へ、宇宙へ、あるいはどこというわけでもない場所へ。アルバムの1曲目が始まると同時に旅(ジャーニー、journey)が始まるんだと。BUMPの曲はアルバムで聴くと心地よいのはこういうのもあるのかなと思いました。

ちなみにタイトルの「Asgard」は北欧神話に登場する神の国だそうです。「アースガルド」とカタカナにしてみたら馴染む方もいるのではないでしょうか。
神の国から出発するこのアルバムはどこに向かっていくのか。では次に行ってみます。



オンリーロンリーグローリー

いきなり最強の歌。元々はシングル曲でしたがアルバム収録にあたってイントロ前のコーラスが追加されています。

正直この曲について長く書けない(歌が良すぎる)ので簡潔に言うと、まさに輝きにあてられて輝きを追いかけた人の歌なんじゃないかと思いました。彼は何が出来る、彼女は何が得意だ、そんな言葉すら心を蝕んでくるように感じる人もいると思いますし、僕も自分の得意ってなんだ?能力ってなんだ?といちいち考えてしまうタイプの人間なので序盤がこれまたぶっ刺さるんですよね。まさに自分だけが歩き出せずにいると感じることも多々ありますし、今でもたびたび思います。

この歌の中の誰かが光に向かっていく様子は藤原さんが力強く歌い上げるのもあって本当に打算でない、心から手を伸ばしているんだと感じられるのがまた好きです。自分が向かっていく光に最果てなどない、でも歩いていくんだ。歩き出していきたいから。という意志が伝わってきます。

ありきたりな表現ですが、どんなコンプレックスがある人にだって向かっていきたい光だったり掴んでみたい物だったり、あるいはもっと身近に言えばやってみたいことがあるはずです。それらに向かっていくことに果てはない、一歩一歩進んでいくことだって難しいという事実は確かにありますし歌の中でもそこをごまかされることは絶対ありません。その上であなたがそこに向かって行こうとする気持ちにも最果てなどないのかなあと。そんな風に思いました。

ここまで行動に移せというニュアンスを含むようなことばかり書いてしまいましたが、この歌をどこかで聴いて少しでもいいから今目の前の学業だったり仕事だったりちょっとでも「まだ立ってやるか」と思って日常を続けることが出来たなら、それはこの歌があなたを経由して出来た「オンリーロンリーグローリー」かなと思いますし、僕自身もBUMPの歌を聴いてそんな風になっていたらいいなって思います。




乗車権

サビでシャウトのような歌い方をすることで有名?な歌です。まずタイトルが乗車"券"じゃなくて乗車"権"なのがおもしろいですね。

夢の先に連れていってくれるバスに適当な夢を書いてバスに乗り込もうとする「俺」ですが、乗り遅れそうになったり乗車券を無くしたりとろくでもないです。

まずバスに乗るっていうことがいわゆる「椅子取りゲーム」っぽいですし、泣き落としで順番譲る「馬鹿」っていうことはやっぱりそうなのかなと。
乗車券を無くしたくだりについては「強く望む事」もなければ、適当に「強く望む事」すら書けない日常を消費してしまっている人のことかなと思います。

乗車券を無くしてなお乗り継ぎのバスに忍び込む「俺」でしたが夢の先なんて見たくない、下ろしてくれと頼むもただ一人のためにバスが止まる訳がなく…と語られて曲が終わります。

後半で「俺」は「人間証明書」も無くしてしまうのですが、上に書いたように日常を消費し続ける代償というか、高い地位を得たいというような強く望む事が適当にすら浮かばないまま椅子取りゲームに参加し続けることへの警鐘みたいな感じがしました。ガラスのブルースに1秒も無駄にしちゃいけないというフレーズがありましたがそれをダークに描くと乗車"権"がないっていうことなのかなあと。
前の曲が「オンリーロンリーグローリー」なのもかなり大きいと思います。掴もうとした人間と掴もうと思わない人間とで狙ってる部分はあるのかなと。この曲を通しても自分だけが貰うトロフィーを掴み取ることの難しさが歌われてるのかなって思いました。書くの難しいです。




ギルド

全アルバム通してトップクラスに好きな曲です。トップクラスというか、この歌に考えを巡らせることが何度もありました。それでも答えが出ない部分が沢山あるのでこの歌の文章は特にぐだぐたになってしまうかもしれませんが読んでいただければ嬉しいです。

1番は「人間という仕事」に就いている頃のお話。これは多分産まれ落ちた瞬間ではなく、長い年月の中で社会が用意した日常の中で生きることが自然と決まってからのお話だと思います。
そうした日常の中で生きているので世界か自分かどちらが歪んでいるのかわからない。気が狂うほどまともな日常というフレーズがまた凄いです。朝起きて外に出て電車に乗って、その道中に居合わせる人達は当然「居る」ようですが、そのひとりひとりまともな日常を保つのに必死なのかも、必死なのだということ。そのまともな日常を欠いた誰かがいてもそれに気づかないだろうということ。そういったことが含まれていると思います。
瞳を開けるべき理由はなんなのでしょう。まともな日常を維持しないといけないから?死んではいけないからなのか?暗に「生きてくれ」と簡単に言うことはしていません。

2番は「人間という仕事」をクビになった頃のお話。クビになったといってもそれが他人によるものなのかはわかりません。社会から抜け出すような意思を自ら表明したからなのか、それとも外的な要因なのか。
どちらにせよ日常からは離れてこの歌の中の誰かは色々なことを考えます。眩しさと向き合えるかな、呼吸をしていていいのかな。もしかしたら日常の中を生きる人や物の中に輝きがあったかもしれない、自分はいていいのだろうか。日常に苦しめられているのにそこから抜け出しても今度は何故か感じる負い目やその日常の中を生きる強いものに劣等感ばかり感じたり何をやっても心に救いがありません。
そういった心のグチャグチャも「隠してるから気づかれないんだよ」と。当たり前です。当たり前だけれどこんな思いを吐露すればというのは残酷な事です。それでも隠さなかったのなら何か変わっていたのかもしれない。堂々巡りをするばかりで聴いてるこちらも答えが出ませんしこの歌の中で苦しんでいる誰かと、そしてBUMP OF CHICKENは僕以上に悩んでこの問いと向き合ってきたはずです。

ラスサビは圧巻です。BUMPが常に歌ってきた「孤独」というものが心を蝕む恐ろしさと逃げ道としての安息場の両方を持つこと。愛されたいが故に傷つくのを恐れて孤独を選んだ人間の手を引いてやると。「構わないからその姿で生きるべきなんだよ」と。
「一緒に頑張ろう」とか「これから強くなっていこう」とかそういう言葉がこの歌の中に出てくることはありません。歌の中の誰かのようにその人が紡いできた日常や心の重さを知っているからこそ、悩む人や孤独に逃げた人のことを否定もせずにただ受け入れること。答えが出るわけのない堂々巡りの問いと向き合った結果そうするほかないからこう歌うしかなかったのかもしれませんが、やっぱり「あなたのままで構わない」「こちらから何をするわけでもないけれど、あなたが手を伸ばしてくれたら全力で引っ張りあげる」というそれこそがBUMP OF CHICKENがこの曲に込めた意志だと思いました。

長々と重いことばかり書いてしまいましたがこの歌は間違いなく聴いた人の心に1つのピースを足すような、切り取られて日常の中に組み込まれるそんな歌です。これを読んでいるあなたが興味を持ってこの歌を聴いて、その中から何かを感じていただければこれを書いた意味があるだろうと思います。



embrace

温もりの歌。「ギルド」からこの歌への流れが神がかり過ぎてます。大好きです。

「embrace」は「抱擁」の意味で、歌の中でもたまたま出会った孤独に生きる者同士が互いの温もりを確かめ合います(「K」に出てくる絵描きと黒猫のお話を違う面から見た説もありますが今回はそれ抜きで考えます)。
温もりという言葉をを強調するように「撫でる」「触れる」「キスをする」という行動も多く出てきます。触って温もりを確かめることでそこに存在していることを確かめること。

アルバム収録以前は2番のサビ直前の歌詞が「願わくば掌に 一つ情報が欲しい」でした。呼吸の音も誰かの匂いもあるのに掌に触れたい、温もりを感じたい。藤原さんが「温もり以外は信用していない。」と語った話もありますが、実際生きていく上で人に"触れる"ことをしなくなったと思います。日々の中で温もりという感覚がなんだったのか少しずつ忘れていくことも孤独に向かって心をすり減らしているのかもしれません。

歌のラストで、結局はただ自分と同じように生きている誰かの温もりが欲しかっただけというエゴ丸出しで「確かなものは温もりだけ」だと言い切ります。
出会った君がいなくなれば必死に探そうとしたり目が見えないとしたら細胞全部で君を見てやると言ったのもただ誰でもいいから温もりが欲しかっただけ。孤独を感じたとして「誰かにいて欲しい」というのは身勝手なことでしかなく、この歌の中の人物が語るような行為はそれこそ気持ち悪いのでしょう。

ただ、そういう気持ち悪さや自分勝手も含めて孤独の中にいる人間の苦悩がわかるからこそ愛しいんだと思います。「ギルド」と同じでこれも堂々巡りにしかなりません。誰かの温もりが欲しい、そばにいてほしい。それは身勝手な考えにしか過ぎない。でも…

ラストのembraceのコーラスがそういったヒトの気持ち悪さも愛しさも全て含んで「抱擁」しているようでした。あなたが今触れている誰かにとってあなたの存在は誰でもいいのかもしれないというのは残酷ですけれど、もしかすればあなたも同じように持っているエゴを否定することなく抱き止めている歌です。まさに人間の歌だと思います。




sailing day


ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険」主題歌。PV中にも麦わら帽子を被った男たちが乱入してなだれこんでくるシーンがあります。
といっても主題歌を担当したとはいえやはりBUMP OF CHICKENです。アニメ作品とは離れた場所でも勿論こちらの日常に染み込んでくるような内容になっています。

内容は「ギルド」の「世界は自分のモンだ」を別の視点から見たらこんな感じになるのかなあとしか言えないです。ただ前半5曲に比べれば「グングニル」とか「バトルクライ」に似た日常を戦う誰かを鼓舞する強い意思表示みたいなものなので聴くたびに元気を凄く貰えます。

後は典型的にBUMPが一対一で聴き手と向き合っていることが凄く分かりやすいと思います。「それぞれの見た眩しさ」っていう言葉もそうですね。「オンリーロンリーグローリー」にもあったように最果てなどない光を何かの尺度に当てはめることは絶対にしません。CDを通したとき、そしてライブですら聴き手ひとりひとりと向き合うことをずっと考えてきたBUMP OF CHICKENというバンドのエッセンスが沢山詰まっていると思います。

最近はこの歌を聴くたびに、「私達が過ごした時間の全てが、それが輝きだったんだ。探していた私達の輝きだったんだ。」というフレーズが浮かびます。
わかる人にはわかると思います。
これからも弱さゆえに日常に押し潰されそうになったとき、過ちも敗北も絶望も含めて冒険の日々を全て抱えてきたビリーヴァー、ドリーマーたちの姿を胸になんとか立っていようとしたのならいいのかなって思いました。



同じドアをくぐれたら

決意の歌。「sailing day」も何かに向かっていく歌だとは思いますが、こっちはもっと現実的というか決別のほうの決意ですね。

「何かを掴むことで何かを諦めない」なんて言葉がありますが、この歌ではどれも捨てられないものを秤にかけて捨てながら前に進んで行きます。
今まで一緒に歩んで一緒に何かを拾ってきた誰かとは同じドアはくぐれない。「sailing day」で歌われたそれぞれの眩しさはそれぞれの眩しさなんです。誰にも比べようがない、時としてそれは残酷なことで誰も自分と別の誰かのドアをくぐることは出来ません。

「君」といた場所も忘れる、「僕」の歌声もいつまで「君」に届くかわからない。それでも捨てられなかったから歌うしかなかったんだと思います。涙も記憶も引き換えにしようとしたけれど「僕」と「君」が互いにいたことは捨てられなかったのか。ちょっと「花の名」っぽいですね。
結局「終わり」を考え始めると今いること、決別してそれぞれの道を歩む上で何故別の道を歩んだ誰かに歌いかけるのかも上の歌たちと同じようにぐるぐると巡っていつまでも答えが出ないんですよね。答えが出ないというよりは説明する言葉がない。それぞれ歩む道の違う誰かに僕たちが歌いかける意味を言葉では説明出来ないけれど、歌いかけることが何故大事なのか、何故こんなにも愛しいのかを知っているはずです。

この歌はきっと言葉にならないそんな揺らぎがメロディーにのって僕たちの元へ届いていますし、ただ一人しかくぐれないドアを誰かと別れてあなたは一人でくぐろうとした強さがあるんだと。そんな風に言ってくれているのかなと思いました。



おわり

やたら長くなりそうなので読みやすさと投稿スピードを優先して前半部だけ切り取りました。「ユグドラシル」について書くにあたって自分自身新しく気づいたことだったり今現在の思いの丈を出来る限り載せてみたので自分にとってもいい刺激になりました。
前3作よりも言葉にするのが難しい分皆さんが心の中でこのアルバムについて考えていることも沢山あると思います。これを読んでくれたあなたが少しでもそんな一部を思い出したりあるいは誰かに伝えようとしてくれたならすごく素敵なことだし、嬉しく思います。

まあとはいってもまだ前半だけなので、引き続き後半も読んで楽しめるような記事が書ければいいなあなんて思います。


では後半に続きます。ひとまずさようなら。