ガラスの目をした猫とトコトコ

とりとめのない話をします

CHICKEN'Sトーク③ jupiter

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どうも、このシリーズも早いもので第3回目です。

今回からいよいよメジャーデビュー後のアルバムについてなんとなく思ったことや感想を書いていきます。このあたりはCDを買っていたとか何曲か聴いたことがあるといった方が多いと思います。
第3回目は「jupiter」。 藤原基央さんの好きな宇宙がこの頃からアルバムタイトルやジャケットに現れ始めました。前回の「THE LIVING DEAD」のような切羽詰まった状況での結晶とはまた違い、かなり前向きな(に捉えられる)曲がたくさんあります。僕自身購入したのは5年前ですが多くの場面で何度もお世話になっています。

さて、それでは楽曲の感想をひとつひとつ書いていこうと思います。




Stage of the ground

初っぱなからヤバイ曲。ライブの最初に演奏されたりすることの多い歌です。

まず歌の始めからヤバイです。「飛ぼうとしたって羽なんかない」と歌い出しから気づいています。タイトル通り地面からのスタートです。
ただ、地面からのスタートと言っても僕たちはやっぱり飛べないので地面はいつだって地面であり365日ステージなんですよね。厳しく言えば誰にでも土俵は開かれているだけとなってしまうかもしれないけれど、僕たちはいつでもステージに立っているんだと。主役は自分なんですよね。

「君の眼は必ず 再び光るだろう」もヤバイです。いったん眼が光らなくなった前提なんですよね。この歌は自分の眼に光が今は宿っていないことを知っていて、それを肯定するでも否定するでもなくただ今とこの先を歌ってくれている。苦しい状況に背中を押してくれるとっておきの唄と言っても過言じゃないです。

「優しくなりたいと願う~」の箇所もすごく好きです。誰かのためを願ったらそれだけで君はいいと言ってくれているような気がするので。人に優しく出来ている出来ていないでなく思うだけで心からの想いがあるんだと。そうだったら素敵じゃないですか?

このままだと歌詞のひとつひとつを拾って「好き」と言うやつを全部にやりそうなのでここまでにしておきます。

結論:全部ヤバイ




天体観測


説明不要の1曲。説明不要すぎるので長々と説明はしません。

「イマ」というほうき星を追いかける歌。あえて言うならばどこかで聞いたシチュエーションです。
あえて作品名は出しません(というより各々の作品がおそらくあるので)し、何かシンパシーを感じた作品のあるなしに関わらずこの曲の持つ魔法やパワーは変わらないはずなのでそのことについてだけちょっぴり言って終わります。

僕が見ている限りは誰しもが日常のどこかのポイントで「イマ」というほうき星を追いかけ始めたと思うのですが、その途中で見えてるものを見落としちゃうんですよね。前回の記事のグロリアスレボリューションもそうでしたが、何かを追いかける途中で大切なものだったり誰かを忘れてないか?っていうのを聞いてくれているんですよね。

歌の最後で、「僕」は「君」とほうき星を再び二人で追いかけるわけですが、「君」がいたこと、いることにまた気づいたんだと。そこが自分にとってはすごく大事なことに聴こえました。

ライブだとそんな最後の歌詞は『「イマ」という ほうき星 僕らみんな追いかけている』に変わってることもあります。もちろんこの曲もずっと大好きです。



Title of mine

音楽になった理由っていうのはあんまりよくわかんないけど、俺が“孤独”って言葉に対して思うのは、マイナス的な要素でもなくプラス的な要素でもなく、ひとつの事実であって現象であって、否定的になる必要もないかなと。ただ、受け入れる必要はあるかなと。


孤独を望んだフリをしている歌。
人に触れるのは別れたり傷つけられたりと痛みを伴うから触れたくない。でもやっぱり誰かの温もりを求めている。人に触れたい。

上記のインタビューで言われてる通り「孤独」っていうのはあくまで事実なんですよね。人と触れることから逃げるための言葉ではないし、人に触れられないでいる人を蔑む言葉でもない。Kでも孤独でいた方が楽という話をしましたが、「孤独である」という事象に甘えてはいけないんだなと。「人に触れていたい」と正直に叫ぶべきですよね。自分にはアイデンティティがない、自分には他人に話せることが何もない。そんなことを言って誰とも距離を置いたところで本当に誰もいなければこんな風に自分の好きなことをここにわざわざ書く必要もない。僕も誰かを求めてこれを書いているはずなので。本当に耳の痛いお話です。

誰もいないなら俺が唄う意味はない、と叫ぶこの歌はこの先まともに聴いていけるかかなり怪しいです。でも頑張っていきます。多分。

誰かのアドバイスに助けられてっていうのもあるだろうけど、誰かのアドバイスを自分の意志で汲み取ったわけですから、そのアドバイスを自分で実践してみようというふうに自分で決意したわけですから、それも自分の力だと思う。その程度のことにしか思ってない

この歌を自分の力でどうにか出来る日は来るでしょうか。




キャッチボール

タイトル通りキャッチボールの歌。

変化球や消える魔球も絶対に取りに行く。「取れなくてもいいよ」と言って欲しくないから。少なくともボールを投げることを自分で選んで投げた「君」の優しさや心を取りこぼしたくないんですよね。慣れてきて距離が遠くなるけれど心は近づいているってフレーズでこの曲すごいなといつも思います。

これは比喩ですが、ここ1年くらいで色々な方がキャッチボールをしている姿をよく見かけるようになりました。バッチリ捕球出来ているところもあれば取りこぼしているところも両方見たと思います。
僕は誰かが投げたボールをちゃんと追いに行ってるかな?とふと思いました。自分が好きなものについて言うとき、相手が好きなものについて言うとき、これはちゃんとキャッチボールになってるかな?、全力でボールを追いに行っているのが相手だけになっていないか?と。

この記事も僕にとってはそうです。この記事というか僕がCDを買って歌を聴いて何かを思ったことそのものがBUMPにボールを投げてるのと一緒だと思っていますが、BUMPの投げてくれているボールをきちんと取りに行けているかなあと。正解不正解というよりは自分の都合のいいようになっているかいないか。
BUMPとこれからもキャッチボールが続けられるようになっていければいいし、続けられるようにアンテナを張っていたいなと思いました。





ハルジオン

白い花のお話。くたびれた状況、くたびれた記憶のなかで白い花だけが鮮明に残っている。

僕のために咲いてる花っていうのがすごくいいです。俺のための○○という言葉をよく聞くようになってからしばらく経ちましたが、なにか差し迫った状況に身を置いたときにこれは俺のためにあったんだ!となるものがあることはすごく心強いです。自分の足取りを強く支えてくれますから。

しかしその花も途中で枯れてしまいます。けれどその中で花の芽を再び見つけることができた。
これ、僕にとってはBUMPを再び聴くようになった経緯そのものなんですよね。ちょっと前の記事に昔は聴ける曲聴けない曲の話をしましたが、BUMPから1度離れて戻ってくるまでに1度大きな失敗をして自分について考え直す機会が多くあって、それがあったから「R.I.P.」や他にも多くの曲とまた再び違う出会い方をすることができて。
BUMPの歌は自分の日常とリンクすることが多いですし、その瞬間は体の内側から何かが飛び出してくるような気分になります。その瞬間瞬間で枯れても枯れない花が咲いてるのかなあなんて思いました。

ところで、ハルジオンってどういう花なんでしょうか。調べてみましょう。

ハルジオン(春紫菀、学名:Erigeron philadelphicus)は、キク科ムカシヨモギ属の植物。北アメリカ原産で、日本では帰化植物となっている。ヒメジョオンと共に、道端でよく見かける。一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。花言葉は「追想の愛」。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%B3

ウィキペディアまんまコピペしましたが、道端でよく見かける花って考えるとさらにアツいです。道端に咲いてた1つの花が僕のために咲いてるっていうのがヤバイですね。語彙がないのでこの辺りの感情は上手く説明できません。あしからず。




ベンチとコーヒー

藤原さんが同じBUMP OF CHICKENのメンバーである直井(チャマ)さんに贈った曲。今でも手書きの歌詞カードを直井さんは自宅で額縁に入れて飾っているそうです。
とはいえメンバーに贈った歌といってもメンバーのためだけに歌ったものではなく、やっぱりBUMP OF CHICKENとしてこっちに向けて歌っています。そこは変わっていません。

この歌はほんとうにありふれた日常だなと思いました。道行く人々だったり太陽だったり自分に寄ってくる鳩だったり、そういうものに対してなんかいいなあとか自分は何だかダメだなあとか。
日常の中で目に入るありふれたものに対して抱くささいな気持ちだったり心の動き、ハッとする瞬間が歌に切り取られていてああ、あるよなあとなります。

そんな日常のささいな動きを聞いてくれる解ってくれる人がいるあたたかさが身に染みる歌です。





メロディーフラッグ

過ぎ去りし時のなかに立つ旗の歌。

昨日でも明日でもなく「今」を歌った歌というのがいいです。特に「明日」じゃないのが好きです。

「今」という言葉について触れる機会はここ1年強で本当にたくさんありました。月曜日じゃ遅すぎる。今、全力で輝こう。それこそ「イマ」というほうき星だってそうです。
これからさらに日々が過ぎ行くなかでBUMP OF CHICKENの歌を聴いて感じたものが未来で曇っても、また思い出していけるようなそんなものを感じます。
ちなみにこの曲自体は一時的な記憶喪失に陥った友人に贈った曲だそうです。けれどそれがある個人でなくCDを入れて聴いている色々な人の心に響いているのはやっぱりBUMPらしいですよね。

この曲が一番言葉にするの難しかったです。余談ですが、最近買ったYUKIのシングルCDのタイトルが「フラッグを立てろ」なので数年越しにフラッグが立てられました。こちらもすごく好きなのでBUMPの記事ではありますが興味があればぜひ聴いてみてください。





ベル

耳障りな電話のベルの歌。

自分のことなんかたいして知りもしないのに、明日にはこうして電話したことも忘れてるんだろうにと思いながらも、「元気?」と「君」が電話してきてくれたことに救われる「僕」の姿には共感するものがありました。

人に自分が思っていることはこうだ、考えていることはこうだと言いたくてもなかなか伝わらない。いつでも本音の少し手前で止まってしまうから理解されずに、相手に理解されようと思うことも止めてしまう経験ってたくさんあると思います。
そうやって口を閉ざしてきた人にとって「どうしたの?」と聞いてくれる人の存在は本当に救いになるんですよね。明日にはその人は自分に言葉をかけたことも忘れてしまうとしても、それは損得とは違う心から寄り添った言葉だと思うので。

こういう記事などで自分の言葉を何かにおこしていくうえで、これを読んでいるひとりひとりの事情は全部わかりようがなくとも自分の言葉が誰かにとってちょっと前向きになれる魔法がかかっていればなんて思います。




ダイヤモンド

メジャーデビューシングル。これも説明不要レベルの一曲。

「“ダイヤモンド”って『弱い部分、強い部分全部ひっくるめて自分なんだ。それを抱きしめてくれ』っていう歌ですけど、『弱くていいんだ。あ、よかった』って取ってくれる人もいるだろうし。でも人によっては『そうだ、弱い部分も俺なんだよな。これは困ったぞ』ってなる人もいるだろうし。俺はどっちも愛おしいです、聴いてくれた人は。前者の人はちょっと甘えるところを探してるのかもしんないです。でも後者の人は、その曲によってちゃんと覚悟をする人なのかもしんないです。どちらもどっちで僕は愛おしいです。だから何が言いたいかっつうと、優しいかもしんないし、厳しいかもしんないってことです。だってね、弱い自分を自分だと見直して過去に切り捨てたっていう歌ですよ。それを知ってしまう、ずっと呼んでたって気づいてしまう歌ですよ。それを認めろっつってる歌ですからね、ある意味ね。『おまえなんだからよ』って。だから聴く人によってはすごい厳しいんじゃないかな。『散々苦労して捨てたのにうるせえこと言うんじゃねえよ』って思う人もいると思います、いっぱい。だから人によってはものすごく厳しく響くだろうし、人によっては優しく響くこともあるだろうし。“優しい”って言葉をちょっと言い方を変えて言えば、人によっては都合よく響くかもしんないです。僕は、優しくしたいなとか思って歌ってるわけじゃないです。もうその中に厳しさだとか優しさだとか見つけた人の、その人の色なんだと、僕は思います」

ここが自分の人生観が変わった転機だと思っているので何度も同じ話になってしまいますが、大学にストレートで入れずもう1年やり直すことが決定したときはとにかく自分を恥じました。今までの自分の人生で何を積み上げてきた、何か人に誇れるもの、紹介できるものはあったのか。既に他の人とは離されているのに1年間さらに誰もかれも自分から距離を離していくのかと毎日考えていました。離されるのは仕方ない、積み上げてないのもしかたないと考えつつも、1日1日誰かと比べて劣等感を持ち続けるようなことばかりしていました。

この時期は「ダイヤモンド」はまともに聴けませんでした。弱い部分を他人に肯定されようと自分だけは認めちゃいけないと思っていたので。そうやって一人で戦うことが今の自分には必要なんだと。

今はもう少し違う聴こえ方になりました。今の自分に誇れるものがあるのかと聞かれたら口から出てくるようなことはないけれど、自分に誇れるものがないからこそ自分が目にしてきたものから受け取った気持ちを何かに返したい人に優しく出来るようになりたいとか、自分のことについて考えたり出来たので。

何回転んでもいいけど、すりむいた傷はちゃんと見なくちゃいけない。その言葉を忘れないようにすれば「ダイヤモンド」という歌は僕のなかで大事なもののままだと思いました。




ダンデライオン

これまたFlashや創作で有名なタンポポとライオンの歌。

この曲についての感想を見たりすると「嫌いもしなければライオンに語りかけることもないタンポポを好きになるライオンが可哀想」みたいなものをちらほら見かけるのですが、僕はそういう風にはあまり考えていません。
風に揺られるタンポポが頷いたように見えた、それだけで孤独だと思っていたライオンは誰かに寄り添って生きていけた訳ですから。本やテレビのヒーローは画面の中の怪人や怪獣を倒しても僕たちの問題を直接解決してくれないから応答してないのかって言われたら、ヒーロー達が与えてくれた勇気を自分に蓄積できたならそれは応答してると思うし、それは歌も同じですからね。
それに、タンポポもライオンと同じく生きていますから。何も物言わぬというわけじゃなかったと思います。そうは言いつつ最後はすこし悲しいですけれど。




おわり

というわけで3つ目にしていきなり難産になりました。逆に言えば、ひとつの歌に宿るものがどんどん増えているということなので、そういったものをじゃんじゃん形に出来たらいいなと思います。

jupiterは特に僕だけじゃなく多くの方の青春だと思うので、そういったことを思い出しながら視てくれた方がいたら嬉しいななんて思います。

それでは、ここまでの閲覧ありがとうございました。