ガラスの目をした猫とトコトコ

とりとめのない話をします

結衣ちゃん編 5日目

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4日目まで伝わらないことばっかりだったけど、ようやく伝わった。
ココナちゃんの悪だくみでトイレに置き去りにされた結衣ちゃん。「怖くなったら呼べよ」って桧山くんに言われた通り、助けて…!ってちゃんと言えたからやっと届いた。沢山の伝わらなさを通ってきてようやくなにかひとつの気持ちが伝わった瞬間の当人達を見てたら自分のことみたいに嬉しくなりましたよ。12歳の男の子と女の子が本当に大切なことを教えてくれる。

それでも解決してない問題は沢山あるから全然雨は止んでくれないのもまた凄い。ココナちゃんは前述した悪だくみとかその他の言動で桧山くんから警戒されてるし、ここにきて武智くんは自分の気持ちを誤魔化し始めてる。作品における雨の法則とは言うもののやっぱり結衣ちゃんは桧山くんと上手く行くことだけを良しとしてるわけじゃない優しい子だから雨も1日ザーザーですよ。
桧山くんもようやく伝わった…と思ったら今度は武智くんの異変とかに気づいてまた遠慮しだしてしまったし。「どこにも行くな」まで言えた。言えたのに、「でも(ムリに)つかまえておけない」っていって結衣ちゃんに委ねてしまう桧山くん。いじらしいけど、結衣ちゃんがちゃんと言えたように今度はまた桧山くんが言わなきゃいけないことがあるのかなあ…。今度は言いたくても言えない、伝えられないことじゃなく隠してしまったけど伝えなくちゃいけないことが大事になってくるのかななんて思ってますけども。特に武智くんとココナちゃんは自分の気持ちと違うことを言ってきてしまっているから、そうなってしまってる当人たちも悲しいだろうけど隠してしまった言葉とか気持ちとかそういうものをあの子たち自身が覚悟してサルベージしていければ心の望むままに在ることが出来るだろうし、あと2日でそういうところがちょっとでも見られたら嬉しいなあ…

12歳。実況も残すところあと2日分のストーリーなので、後は雨が止むときみんなの気持ちまでカラっと晴れて終われるのか、どうなるのかきちんと見届けていきたいです。あと、稲葉くんだけあの歳で自分を持ってて全くブレないの凄すぎない?



P.S.
甲賀流忍者!ぽんぽこさん、今日の放送も楽しませてくれてありがとうございました。

『12歳。~恋するDiary~』の結衣ちゃん編が教えてくれる「伝わらなさ」

あるバーチャルYouTuber様が週一でやっているゲーム配信で『12歳。~恋するDiary~』が取り上げられていて凄く面白かったのとそこで思ったことが少しだけあったのでその事について残しとこうと思います。
でもまだ4日目(ゲーム内では7日間のストーリーを体験する)までのお話しかしないので大した話は多分できないです。

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キッズキャンプを通して結衣ちゃんと桧山くんの交流を描く…と思いきや

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身長高くて寡黙な武智くんだったり

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桧山くんを狙ってくるココナちゃん(右)だったりの介入があってどうなることやら…っていうストーリーですけど、これが本当に面白い。間に挟まる選択肢も結衣ちゃんならこう答えるだろうとか本当に答えなきゃいけないことはなんだろうとか真剣に悩まされます。いやマジで。

タイトルにつけたように結衣編は伝えることの難しさが詰まったお話だと思います。
結衣ちゃんが基本的に自分の気持ちを伝えることを遠慮したり一歩引いて周りを見る子なのでほんと悲しいくらい空回りすることも沢山あって行き違いがめちゃくちゃ発生するんですよ。
桧山くんも同じで恥ずかしがっちゃって言えないことが沢山あるせいで伝わりきってないのかなって思うこともめちゃくちゃあります。それが見ててかわいいところだし俺もめっちゃ気持ちはわかるけど。
この二人だけじゃなくココナちゃんもそうです。既に付き合ってる二人を前に桧山くんへの気持ちをどうしていいかわからないから攻撃的な物言いになるばっかりで肝心の桧山くんに伝えることがちっともできない。気づいてる子もいるけれど肝心の本人にはとことん伝わらない、伝えられないってことを4日間ずーっと見せてきてるのかなと思いました。この伝わらなさって一体なんなんでしょう。

ペア組みで一緒になれるわけでもなければケータイでやり取りなんてこともないわけで、桧山くんと一緒になる時間なんて全然ない中で何かを伝えられる時間って凄く限られてるんですよ。

このゲームの選択肢には桧山くんと結衣ちゃんだけの世界を作ることを良しとしない選択肢があって、それは結衣ちゃんが人のことを見られるが故のやさしい選択肢だったりするわけですけど、例えば

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桧山くんが結衣ちゃんにシーグラスを渡そうとするシーンがあるんですけど、結衣ちゃんはこれを怪我してひとりぼっちになってるココナちゃんに渡そうとするんですよね。その選択肢がいわゆる「正解」なのは何故なのか?桧山くんには結衣ちゃんの何が伝わってるのか?ってことなんですよ。言い返せば桧山くんは結衣ちゃんのどういうところが好きなのか?で、それはきっと誰かに見せたそのやさしさなんだろうねと。

あと毎晩バンガローの裏で二人が会うシーンがあって、そこでようやくそのほんの少しの時間が出来て言いたいこと全部言えるかって言われたら人が来ちゃったとか恥ずかしいとかいろいろあってそういうわけにもいかなくて、本当はもっと言いたいこと山ほどある中でじゃあ伝わってるものは何だろうという話ですよ。

誤解したまま解散するはめになりかけたり自由行動でも一度別れたあとそのまま会えずに夜になったり、徹底的に伝わらないことが沢山あるなかで自分が一番好きなのは「また明日」っていう言葉です。ここから多分「ここすき」しか言わないので注意してください。



ココナちゃんの介入で桧山くんとの関係に暗雲が立ち込めてる中で桧山くんが「また明日」って叫ぶシーン。結衣ちゃんの言うとおり、「どなってまで言ってくれた」その言葉で一体何が伝わったんだろう。
これは僕の尊敬する人の受け売りなんですけど同じ言葉でもやたらめったら使っていけない言葉があって、「消しゴム取って」「ありがとう」のありがとうと本当にここぞのタイミングで言いたい言わなきゃいけない「ありがとう」は同じにしちゃいけない全然違う言葉なわけで、それが「また明日」って言葉に凄く表れてたなと思いました。今日話せなかったことも、なんか誤解したままになっちゃったけど、伝わらないことだらけで不安でいっぱいだけど、また明日。このまた明日は多分ただ「好き」っていうよりずっと直球な言葉ですよ。結衣ちゃんは寝る前に「また明日」って言葉を何度も思い返しているけど、たったあれだけの一瞬がずっと長い長い時間になったのってああいう時なんじゃないかな。

この言葉はふたりの関係だけに言えることじゃなくてもっと身近な、僕たちが経験する人と人の間の伝わらなさは沢山あるけれど少しでも近づいてみたい、近づいてみようよっていうことに凄く気づかされたというか、12歳の子を目の前にして大事なことを教えてくれてると思います。一から十まで全部伝えきれることはないけれど、だからこそその一を少しでも一緒に確かめ合っていこうよ、という。冗談抜きに12歳。色んなことを教えてくれる。

他にも毎話の終わりに結衣ちゃんのコメントが挟まれるんですけど、肝試しみたいなイベントでペアだった武智くんに頼りきりになってしまったときの結衣ちゃんのコメントが「もっと強くならなきゃ」だったのもそういう意味がもしかしたらあるのかもしれない。仮に無くても、俺はあると言いたいです。

こんな長文書いてめっちゃ応援したくなっちゃう理由がもうひとつあって、放送内で聞けた『爆きゅんボイスカードガチャ』(原文ママ)の結衣ちゃんのボイスが凄く良かったんですよ。「タイムマシンがあったら未来のふたりを見てみたい」っていういじらしさというか、普段気持ちが前に出ていかない結衣ちゃんがずっと信じてるのめっちゃ良いじゃん…みたいな感情があります。祈りみたいなか弱い言葉だけれど、ほんとうの気持ちだから。



バーチャルYouTuber様の実況は4日目のストーリーまで来て残すところあと3日分なので結衣ちゃんはもちろん、ココナちゃんの成長とか武智くんの姿に桧山くんが触発されて成長するとことかあったら嬉しいなあ…
1話1時間と考えると週一配信ではストーリーが気になって仕方がないですがそれを原動力にしているリスナー様を多く見かけるのでやはりゲームは1日1時間ということを思い知らされます。

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最後はみんな笑顔で終わって欲しい。
あと多分放送で全話終了したら完全に虜にされてるので多分このゲーム買います。中古でも4000円くらいしてるの見かけまくりなのでもしかしてガチで放送の効果で需要高まったかと思いました。
アニメ版も絶賛検討中です。1話は観ました。



最後に、この生放送主である甲賀流忍者!ぽんぽこさん、いつも動画や生放送楽しく見させて貰っています。これからも応援してます。

バーチャルYouTuber様の本編アーカイブ

Merry Christmas

今年もこの曲の季節になったなーなんて。

ほんとに1年ぶりぐらいにPVといっしょに曲聴いたんですけどやっぱいいですね。



僕クリスマスの街全体が浮わついた雰囲気けっこう好きなんですよ。

自分がどこか遠出するわけでもなく普段通り一日を過ごす日でもそういう雰囲気ってやっぱあって、毎年無駄に受かれてたりするわけですけどそういう特別感に飲まれるのが好きだったりするのかもしれないです。



僕の大好きなBUMP OF CHICKENの「Merry Christmas」。PVでも演奏してるメンバーそっちのけで街行く人は好きなことやってるけどそういう道を歩いてるだけの人でさえ今日は各々が何かしらの想いを秘めて歩いてるようなシーンが心暖まるし、この時期はやっぱりそういうの沁みますね。



別に友人や恋人と過ごすわけでもなく自分の仕事とか学業のことでクリスマスっていう日があんまり実感無い人も僕含めて沢山いると思うんですけど、僕はそれでもああ浮かれてるなって実感できるくらいの心の余裕というか、街全体に心を預けちゃう感覚がこれから先も残ってたらいいな…と何となく思います。

サンタクロースにお願いしようかな。



どこに行かなくても特別な雰囲気にちょっと酔って、少しだけ人に優しくなれたらそれは凄く素敵な事なんじゃないかなってこの曲聴くといつも思います。



今日は僕これからバイト打ったら一日終わるんですけど、何となく今日のやわらかな雰囲気をちょっとでいいからわざわざこんな文章読んでくれた人と共有できたらいいなって思います。



今日はクリスマスイブだけど、皆様Merry Christmasということで。

今年もあとわずかだけどまだまだ沢山お話ししましょ。



BUMP OF CHICKEN、ラブソングマジ!?

つって新曲発表朝から歓喜しました。



ロッテのCMタイアップって2006年に「涙のふるさと」でやってたこともあってそれを色々調べてたら、そのときも最初公開されてたCMは歌だけで 「これはBUMPの曲 (藤原基央の声) だ!」「いやBUMPが『会いにきたよ』なんて言うか?」 みたいな議論になってたらしいですけど、今回も30秒のムービーだけで似たようなこと起きてましたね。

というか僕が勝手になってました。





ラブソングですよってリリースしたものは2000年の「リリィ」が最後 (とは言ったものの当時「天体観測」とか「スノースマイル」とかがラブソングと言われるのが嫌で斜に構えて否定してたところはあるのかもしれないけれど) だったので18年も経ってど直球のラブソング出したことになるんですけど、そのタイトルが「新世界」なのがヤバすぎて一人でゴロゴロしてました。

だって「Merry Christmas」って直球な言葉のときも「ええっ!?」ってなったのに「ベイビーアイラブユーだぜ」と来たらもう驚くでしょう。

別に悪い意味でなくそういう言葉を使って歌うことはないのかなとは思っていたのでなおさら。



そうは言うけどBUMP OF CHICKENの楽曲ってどれもラブソングではあるのかなと。

恋愛の歌としてのラブソングではないけれど、親愛とか慈しみとか、もっと広い意味で触れようとか抱き締めようとか言ってきた人達だったから、今回の曲も恋愛の匂いを漂わせつつも根本にあるものは変わってないんだなって言葉が沢山あったように思います。



あと最近の曲は自分と自分が話すというよりも明確に他者と繋がることを歌ってるのが多くなってるのかなと。

目の前に今はいない誰かのことを歌った「話がしたいよ」だったり、手を繋いで世界の中心を作った「Spica」だったり、ライブツアー終えてBUMP OF CHICKENの4人が何を感じたのかはわからないけれど明確に他人のカタチが出てきてるなあと思います。



「新世界」っていう言葉通り、BUMP OF CHICKENはまた新しい領域開拓したんだなってただそれだけはハッキリと感じました。

チープな言葉ですけど確かに言えるのはそれですね。




もう書くことないので最後にこの曲の一番好きなところだけ言うと、



「君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ」

「明日がまた訪れるのは 君と生きるためなんだよ」



っていうように、「君」から何かを貰うことから始まった「僕」が最後には自分の意思で意味を見つけてるところが今のところお気に入りです。



そうやって自分の意思で言い切れるところまで来た後にそれでも最後に伝えたいのは、

「僕の今日までが意味を貰ったよ」

なのが自分はめっちゃ好きです。






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ベイビーアイラブユーだぜ

X-Kid

いつもみたいに適当に音楽の動画漁ってたらGREEN DAYの「X-Kid」がめちゃくちゃ良いなって気がついたんですよ。
すごく有名なのに今まで全然気づかなくてそれ故に良さにビックリしました。

ぶっちゃけ言いたいことはそれだけなんで後はどうでもいいんですけど。



日本的な風景とは違う、アメリカの郊外というかだだっ広い家にデカイ庭にっていうアメリカっぽい風景を感じられるような (アメリカ行ったことないので適当に言ってます。) どこかノスタルジックさのあるギターリフが心地よくてそれが気に入っていたんですけど、後で調べてみたらギターヴォーカルのビリー・ジョー・アームストロングが自殺で亡くした友人のことを書いた歌だということで、この落ち着くような雰囲気も納得というかこれはある意味でレクイエムなのだなと気づきました。



勿論そういう意味もあるのですけど、曲自体はただの哀悼の意味で終わってないのかなと。

過ぎてしまった青春時代の全能感のあった全盛期の後とか終わってしまった旅の静けさみたいなものをずーっと感じながら、それでもその後も続いていく、続けなきゃいけない歩みをそういう「your own glory」に向けて「shouting is over」さよならをして進んでいくまでの気持ちをもういないX-Kidに向けて歌ってるのかなって思いました。



曲に関してはそんな感じです。
この曲ギターで演奏しても凄く楽しいので聴いたその日からやってみてもまたそんな気分に浸れるというか、とにかく過去の郷愁を刺激されていいなって思います。




ここから全然違う話します。


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そういうわけでX-Kidで色々調べてたらビリー・ジョー・アームストロングギブソンレスポールスペシャル持ってる写真とか何枚も見たんですよ。



ギブソンのギターなんてプロなら共通して持ってて当たり前なので共通点というのはまあ馬鹿げてるんですけど、レスポールスペシャル見てたらやっぱり藤原基央さんが浮かんできたんですよ。

彼もまた同じタイプのギターで演奏をしているので。



それで過去のインタビューでBUMP OF CHICKENが共通してGREEN DAYを聴いてコピーしていた時期があったと言っていたのを思い出して、若き藤原基央さんはビリー・ジョー・アームストロングが掲げるレスポールスペシャルを見て何を思ったのか。

当時MVビデオやライブ映像まで見てたのかはわからないですし今やってるBUMPの音楽がパンクに寄ってるわけでもないですけど、今の藤原さんが使うことが多いのはギブソンレスポールスペシャルでその姿を見て自分はギター始めようって思ったので、やっぱりどの時代も変わらなかったりするのかななんて勝手に思いました。



ルーツじゃないけど、なんというか似たような体験?してるかはわからないけど出来ていいなって思った日だったので何となく書きました。






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でも僕の持ってるギターはそんな高いお金出して買うギブソンの純正品などではなく、レスポール・タイプのコピー品なのでした。


MVコンテストの優勝作品の映像は凄く好きです。

特に最後ぐちゃぐちゃの部屋に戻ってくるところがいいなって思いました。

話が

新曲出てからツイートとかで色々言ってましたけどこういうまとまった形で書き留めておきたいなと思ったので少し書こうかなと思います。



フルバージョンが初めて公開された(というより発売前の試聴として)のはSCHOOL OF LOCK!の放送で、その時はPVもBUMP OF CHICKENのイメージ写真もなく曲だけをストレートに聴くことになったのですが、自分は聴いたあと少し落ち込んだというか何だか堪えたものがありました。



初聴きしてすぐは興奮してるので色んな人の感想が聞きたくなってインターネットでそういう感想見てたわけですけど、自分は初聴きしたときこの曲は確かに地を這いつくばっているような状況かもしれない、けど節々に希望を見いだせるじゃないかと何となく思ってたのが、結構これが違ってたというか。



「話がしたいよ」には最後まで「君」は出てこない。
「君がここにいたら話がしたいよ」と繰り返すけれど最後まで「君」が現れることはなくて、それでいて疲れきったような言葉の数々が作用しすぎてたのかわからないけれど聴いた後は前を向けるっていうより内向してた人が多かったような気がする。



その後何回もラジオ放送のアーカイブをリピートして何回も聴いた後しばらくして、同じように自分も何となく落ち込んだというかある種の寂しさを覚えました。

話がしたい君にはもう二度と会えなくて、疲れきった体を運ぶだけの心になった人間の歌にはどうしても思えなかったけれどやっぱりそういうことなのかなと何となく思っていたし、自分はBUMP OF CHICKENが20年以上の活動で潜り続けてきた深さをわかった気でいたことも感じて恥ずかしくなったような気持ちでした。



BUMP OF CHICKENの歌には「死」を歌っているものは沢山あった(それが人であったり思い出であったり記憶であったりは形が様々だと思う)しそうしたやるせなさも歌の中にあるけれど、その上で今生きてるだろっていうのが彼らの歌だと思っていたからこそやるせなさみたいなものを感じすぎてしまって、彼らはとうとうここまで深く深く潜って表現することを選んだのかと。

タブー視とまで言わないけれど目を背けていたようなどうしようもなさだけで終わってしまったのかと何となく落ち込みました。




そんな風になりつつも音源が販売されたら買うか…と思ってた矢先にPVが公開されました。



そのPVを観た時にようやく僕は彼らの歌った再起を見た、というよりちゃんと気づけたかもしれないと思いました。



PVの最後にはBUMP OF CHICKEN4人がバス停に集まって写真を撮るというただそれだけのシーンなのですが、ラジオから流れた音源だけに囚われていた僕はその少しのシーンだけで救われた気がしました。



話がしたい君に会えないこともあるかもしれないし会えない期間はもうひょっとしたら永遠なのかもしれないけれど、彼ら4人が集まってくれた、1人でいた誰かが1人のままで終わらないでいてくれたことがどれほど嬉しかったか。

PVでちゃんと会えたからハッピーエンドというわけでもないのはこの歌自体が証明しているけれど、多分そういうことではないと思う。
話がしたい君に会えないから救われない、ではなくてそういうやるせなさも確かにあるけれど最後にBUMPの4人が集まってくれたことでそういうものを払拭というか、希望をくれたんだと思う。



「話がしたいよ」のPVは映像があることに凄く意味があったと僕は強く思います。
単に映像のきらびやかさとか演出の豪華さだけでなく僕はどうしようもなくその5分ない映像にあたたかさを感じてしまったので。



この曲は映画「億男」の主題歌だったのでそっちも観に行ったのですが映画のエンドロールで聴くこの曲もめちゃくちゃ良かったです。というかこの曲がオチを担ってると言っても過言ではないんじゃないかなと。

映画見た人にはわかると思うんですけど、ようやく結論にたどり着けた和男はいったい誰にそれを話したいのか、彼が真に元通りになることは叶わなくて想いを伝えることもおそらく容易に出来ることではないけれどだからこそただ「話がしたいよ」なんだなあと。

億男めっちゃ良かったので気になったらいつか観てみてください。






長々と書いてしまってあまりまとまってないかもしれませんがここまで読んでいただいた方々に感謝を込めて、ありがとうございます。

やっぱり自分はどうしようもなくBUMP OF CHICKENが好きなので、頻度は落ちてるけど今後もこういうまとめみたいな形でいろいろ残していけたらいいのかなと思います。

また書くことが見つかったら何かしら残しておきます、では。

何か変わったのか

こんなこと書いてもう2年が経つのかとふと懐かしくなったので適当に書きます。



2年も前の自分は凄くかしこまってブログちまちま書いてたものの今はそんなこともなくなり、その日起きたどうでもいいことだったり観てきた映画の話だったりちょっとずつ在り方は変わってきてるのかもしれないです。




それでも昔の文読んで伝わるのはこの頃の自分が他に自分を表現をするものを知らないからこそ躍起になって書いてたのもあるんだろうなとあらためて気づきました。
悪く言えば心に余裕が全然ないからどうにかして爪痕を残そうとしてる様子がくっきりと残っているけど、それも自分の大事な一部なのかもしれないし。



じゃあ今表現できる手段が他にあるのかって言われたらそんなこともなくて、2年前に書いて「普通」についての自分への恨み言だったり考えはずっと残ったままで、2年経った今でも自分の成すべきことや楽しんでることに対してずっとマイナスの地続きのまま来てると言われたらそうとも言える。
基本物事に自信がないしね。



スタートラインに立とうとするのも精一杯で、そう思ってること自体も完全に不貞腐れてて、本当は何にも真剣じゃないのかもしれないと気づきそうになることがたまにありました。

最近はそういうのも無くなったけどそれは少し前向きになったとか自信がついたとかそういうことじゃなく本当はそう考えるとイヤだって諦念なのかということも勿論あるのです。



そんな中でも最近気づいたことといえば好きな人たちのやってることの輪に一緒に加わって自分もなんかしてみるとか、その人たちのことを知るためにやっていることを模倣するとかそういうことが今までずっとやってみたかったことなのかなっていうのがあります。



このブログもそうですけど思えばずっと高海千歌ちゃんという女の子の幻影を追いかけたり盾にしたり叱咤されたりしていろいろ考えたり動機にして何かやってたんだなあ…となんとなく最近感じています。
言うまでもなく他にそういう動機になってきたものは沢山あるけれど長くなるので今は千歌ちゃんの話だけします。



僕は千歌ちゃんと一緒に何かしたかったのかもしれません。
一緒にしたいというか、自分でなんかやってみてそれでもって千歌ちゃんに報告するっていう方が正しいのかな?


勝手に自分のことを重ねてしまったヒトだけれど、千歌ちゃんの歩みが僕にとってこうあれたらよかった、嬉しかったっていうものだったからこそ、ずっと対話をしようとしてたんだと思います。

そしてそれは多分昔の自分とお話するっていうことと一緒だったんじゃないかな、と。



まあ別に胸を張って生きていけてるとかそういうわけでもなくて、自分も偉そうなこと言ってけっこうここ2年の間に逃避に走ったことも多々あるのでたまに忘れてたまに思い出して、っていうのが千歌ちゃんと僕の関係だったと思います。



それでもずっと忘れてることが無くて良かった、きっと忘れることはなかったんだなと思うことが単純に2つあって、1つはまあ日常生活の中で今のところどうにか生きていけてるし間違いなくその活力のひとつを担ってくれてたっていうことと、もう1つは単純に趣味とか思考が充実したっていうことです。



前者は言うまでもないけど単純にアニメの何話が何日後とかあと数週間でライブだとか、そういうのを動機にして過ごせてた部分もあれば、ここでは彼女たちの言葉でちょっぴりにしろめちゃくちゃにしろ歩いてきたっていうところは事実としてあるので本当に感謝しかないです。



後者はまあ後者って言ったのに2つくらいになりそうだけど、単純にコレやってみようって事に最近手を出せたのが凄くデカいというかこの作品観てなかったら間違いなくやってなかったものに出会えたことが一番自分のなかで分かりやすいです。
まあ、言うまでもなくギター買ったことなんですけど。

ヘタクソなギター引っ提げて家に帰って夜だったり休みの昼間だったり自分の好きな人たちの音と一緒に自分のたどたどしい音に包まれる感覚が半年くらい心地よくてまだ続けられてます。

ひょっとしたら千歌ちゃんがスクールアイドル始めたとしたらこんな気持ちだったのかもしれないし、好きな人たちに何か伝えたい返したいっていうのも今では凄く分かるから、そういう意味でもなんかアウトプットするっていうのはどんな形であれ千歌ちゃんと一緒のことができて良かったんじゃないかな?と勝手に思ってます。

とにかくこれ買ったことで彼女とちょっと並んだかな?って感じることは少なからずありますね。
出来に関わらず、何かやる原動力あったんだ!みたいな感じで。
まあそのやる気を本業というか本筋に活かさないとな…っていうのもありますが。



あと思考するというかモノの見方はいい意味でちょっと変わったのかなとは思います。名前出したがりなのでまあ出しちゃうんですけど、僕の敬愛するBUMP OF CHICKENの音楽をもう一度聴き始めたのは間違いなくこの作品があったからって言えるので。

刺さるというかピンポイントで何か感じ取った部分が多く感じ始めたのは自分の境遇のせいもあったかもしれないけれどそれでも何か感じるアンテナは2年前書いてたときよりも少し広くなったと思います。

感じるアンテナが広くなったっていうことはそれだけ自分が何か感じてることに自覚してるってことで、自分のことを少しはちゃんと考え出したってことだと思うので。
それがすべて行動に伴ってるかは置いといて浅いものだとしても自分の中の哲学というか原理みたいなものを少しだけ自覚できるようになれたんじゃないかなと。



千歌ちゃん(だけじゃないけど、)がくれたものはこの2年沢山あって、それを全て受け止めて何か出来たわけじゃないので悔いたり恥じたりする部分も沢山あるけど、いくつかは何か出来たから良かったんじゃないかなとちょっとだけ思えるようになったのは彼女と出会ってからの少しの変化かもしれないです。



千歌ちゃんと一緒に歩めたのは彼女が求めてたのが大層華やかな結果だけじゃなく、もっと手元にある日常の中の幸せのような何かだったから僕とずっと離れないでいてくれたかのように今日まで来たのかもしれないです。

たまに彼女の形を忘れてしまうけど、その度に思い出せるほどに彼女の姿に何回も何か貰ってたのはやっぱり事実だから、最近そういう風に感じなくなってきて何か麻痺しているようだったけれどやっぱり思い返してみて彼女の存在が所々にいたことを思い出したのでこういう場所のこういう形で少しだけ残そうと思いました。
また不貞腐れたようにあまり話してなかったけれど、こうして何かに書き起こしてみると思い出せたことも、その度に感じるほんのりとしたあたたかさもまた戻ってくるので自分にとってはいい機会になりました。



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これからも節目節目でちょっと会っては少し話してはまた進んで、そういう風にやっていけるのが僕にはずっといいのかもしれません。

凄まじい光を放つ輝きを受けてもこうやってゆるやかに進んでいったっていいじゃないか、なんて笑いながら話せたらそれが一番いいなっていうのが今の自分の気持ちです。