いちリトルデーモンの墓場

創作物の感想の雑記を載せます

ダイヤモンド

つい先日旅行に行きました。

もう20歳になっただけに今までどうだったとかこれからどうしていくかとかそういう話を同級生とする機会になりました。



僕の大好きなBUMP OF CHICKENには「ダイヤモンド」という曲があります。

つい最近まで行っていた「BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER」の公演の中で藤原さんはこの歌が出来た時の事を語ってくれました。
この歌が出来た当時は藤原基央さんもまた20歳だったこと。周りの友人とこれからの人生どうすんだとか色々話したこと。会場にいるひとりひとりが今までどうやって歩んで何をしてきたとか人生についてちっとも知らないとしても携えて欲しい歌があること。




同級生が自分を指して浪人前のお前はどこかで必ず失敗する人間だったという話になりました。
その通りだと思いました。

2年前、同級生が先へ進んでいくのに自分は停滞することその事実と共に「人を嘲って生きてきた自分」の周りに誰もいないことを感じました。
罪の意識があっても、あるだけ。自分を恥じるしか出来ないことすらも逃げ道に感じているようでそのうち自分のような人間は人と関わるべきでないと思いました。

もう一つあります。
ふと自分の掌を確認してみました。
何もありませんでした。

華々しい結果や賞賛が無くとも「輝いていた」といえる証明が自分の手元には何一つありませんでした。
周りを見て「凄いね。」で今まで済ませて何とも思わなかったことがどんどんのし掛かってきて何も考えたくなくなりました。



BUMP OF CHICKENと再び出会ったのも2年前です。

「Butterfly」という歌があります。
量産型が自らの世界を作り変えるその姿が僕をもう一度BUMP OF CHICKENと向き合わせてくれました。
かつて惹かれた彼らの音楽から俺はこんなにも遠ざかっていたのかと感じました。

僕の日常に無くてはならないくらい本当にBUMP OF CHICKENの事が好きになりました。



これからどうしていくのかという話になった時に手元に残った小さな世界、せめて家族だけでも幸せに出来ればいいと思いました。今まで恥じている分は償えないから、せめてそれだけ出来れば。

これだけBUMP OF CHICKENの事が好きでも「ダイヤモンド」の通りになれていないと思います。
弱い部分も強い部分も自分を受け入れているとは言えない、自分の声を本当はまだ聞いていないフリをしているのかもしれない。

ただ、「ダイヤモンド」を聴いたとき自分の足跡というのは感じるようになりました。
BUMP OF CHICKENの歌を聴いて自分のエンジンをかける。
日常を過ごすだけでも誰かの手に引っ張ってもらわないと直ぐにめげてしまう弱い自分だからこそ出来るエンジンのかけ方のおかげでBUMP OF CHICKENが僕にくれた、くれるものを毎日のように考えることが出来ました。



僕がずっと欲しがっていた、誰かが持っている価値。
BUMP OF CHICKENの歌は長い時間ずうっと考え続けて少しだけ僕の一部になりました。
その少しが今の僕が誰かに見せられる僕の価値だと思います。



これを書いた意味はほぼ無いです。
ただBUMP OF CHICKENがくれたもののお陰で今は「輝き」というものについて穏やかに考えられるようになったというただの覚え書きです。

BUMP OF CHICKENがくれた、小さな芽がこれからもゆっくり育っていけばいいな、これを読んでいる方にも幸が訪れればいいなと思います。



彼らの歌をもう少し自分のモノにすることが出来たならまた何か書きます。
では。

CHICKEN'Sトーク④ ユグドラシル 前編

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どうも。この記事も4回目になりますがいまだ書き出しに悩んでしまいます、馬です。

今回は4つ目のアルバムユグドラシルです。
FLAME VEIN~jupiter期のストレートな言い回しがだんだんと抽象的というか、頭を悩ませることもあれば日常の場面でスッと心に入ってくるような表現が多くなってきたのもこのアルバムからとよく言われますね。
多くの方が「ユグドラシル」については哲学性を含んだ最高のアルバムと評しているように、例に漏れず僕もこのアルバムが大好きです。ユグドラシルが青春という方もよく言われるBUMPの世界ってどんなものなんだろうという方のどちらに向けてもこのアルバムが好きになれるような内容になればと思います。

前置きはここまでにして、さっそくやっていきましょう。


Asgard

アコースティックギターによるインスト曲。
THE LIVING DEADユグドラシル以降のアルバムもそうなのですが、BUMPのアルバムはすごく物語を感じます。砂漠へ、海へ、宇宙へ、あるいはどこというわけでもない場所へ。アルバムの1曲目が始まると同時に旅(ジャーニー、journey)が始まるんだと。BUMPの曲はアルバムで聴くと心地よいのはこういうのもあるのかなと思いました。

ちなみにタイトルの「Asgard」は北欧神話に登場する神の国だそうです。「アースガルド」とカタカナにしてみたら馴染む方もいるのではないでしょうか。
神の国から出発するこのアルバムはどこに向かっていくのか。では次に行ってみます。



オンリーロンリーグローリー

いきなり最強の歌。元々はシングル曲でしたがアルバム収録にあたってイントロ前のコーラスが追加されています。

正直この曲について長く書けない(歌が良すぎる)ので簡潔に言うと、まさに輝きにあてられて輝きを追いかけた人の歌なんじゃないかと思いました。彼は何が出来る、彼女は何が得意だ、そんな言葉すら心を蝕んでくるように感じる人もいると思いますし、僕も自分の得意ってなんだ?能力ってなんだ?といちいち考えてしまうタイプの人間なので序盤がこれまたぶっ刺さるんですよね。まさに自分だけが歩き出せずにいると感じることも多々ありますし、今でもたびたび思います。

この歌の中の誰かが光に向かっていく様子は藤原さんが力強く歌い上げるのもあって本当に打算でない、心から手を伸ばしているんだと感じられるのがまた好きです。自分が向かっていく光に最果てなどない、でも歩いていくんだ。歩き出していきたいから。という意志が伝わってきます。

ありきたりな表現ですが、どんなコンプレックスがある人にだって向かっていきたい光だったり掴んでみたい物だったり、あるいはもっと身近に言えばやってみたいことがあるはずです。それらに向かっていくことに果てはない、一歩一歩進んでいくことだって難しいという事実は確かにありますし歌の中でもそこをごまかされることは絶対ありません。その上であなたがそこに向かって行こうとする気持ちにも最果てなどないのかなあと。そんな風に思いました。

ここまで行動に移せというニュアンスを含むようなことばかり書いてしまいましたが、この歌をどこかで聴いて少しでもいいから今目の前の学業だったり仕事だったりちょっとでも「まだ立ってやるか」と思って日常を続けることが出来たなら、それはこの歌があなたを経由して出来た「オンリーロンリーグローリー」かなと思いますし、僕自身もBUMPの歌を聴いてそんな風になっていたらいいなって思います。




乗車権

サビでシャウトのような歌い方をすることで有名?な歌です。まずタイトルが乗車"券"じゃなくて乗車"権"なのがおもしろいですね。

夢の先に連れていってくれるバスに適当な夢を書いてバスに乗り込もうとする「俺」ですが、乗り遅れそうになったり乗車券を無くしたりとろくでもないです。

まずバスに乗るっていうことがいわゆる「椅子取りゲーム」っぽいですし、泣き落としで順番譲る「馬鹿」っていうことはやっぱりそうなのかなと。
乗車券を無くしたくだりについては「強く望む事」もなければ、適当に「強く望む事」すら書けない日常を消費してしまっている人のことかなと思います。

乗車券を無くしてなお乗り継ぎのバスに忍び込む「俺」でしたが夢の先なんて見たくない、下ろしてくれと頼むもただ一人のためにバスが止まる訳がなく…と語られて曲が終わります。

後半で「俺」は「人間証明書」も無くしてしまうのですが、上に書いたように日常を消費し続ける代償というか、高い地位を得たいというような強く望む事が適当にすら浮かばないまま椅子取りゲームに参加し続けることへの警鐘みたいな感じがしました。ガラスのブルースに1秒も無駄にしちゃいけないというフレーズがありましたがそれをダークに描くと乗車"権"がないっていうことなのかなあと。
前の曲が「オンリーロンリーグローリー」なのもかなり大きいと思います。掴もうとした人間と掴もうと思わない人間とで狙ってる部分はあるのかなと。この曲を通しても自分だけが貰うトロフィーを掴み取ることの難しさが歌われてるのかなって思いました。書くの難しいです。




ギルド

全アルバム通してトップクラスに好きな曲です。トップクラスというか、この歌に考えを巡らせることが何度もありました。それでも答えが出ない部分が沢山あるのでこの歌の文章は特にぐだぐたになってしまうかもしれませんが読んでいただければ嬉しいです。

1番は「人間という仕事」に就いている頃のお話。これは多分産まれ落ちた瞬間ではなく、長い年月の中で社会が用意した日常の中で生きることが自然と決まってからのお話だと思います。
そうした日常の中で生きているので世界か自分かどちらが歪んでいるのかわからない。気が狂うほどまともな日常というフレーズがまた凄いです。朝起きて外に出て電車に乗って、その道中に居合わせる人達は当然「居る」ようですが、そのひとりひとりまともな日常を保つのに必死なのかも、必死なのだということ。そのまともな日常を欠いた誰かがいてもそれに気づかないだろうということ。そういったことが含まれていると思います。
瞳を開けるべき理由はなんなのでしょう。まともな日常を維持しないといけないから?死んではいけないからなのか?暗に「生きてくれ」と簡単に言うことはしていません。

2番は「人間という仕事」をクビになった頃のお話。クビになったといってもそれが他人によるものなのかはわかりません。社会から抜け出すような意思を自ら表明したからなのか、それとも外的な要因なのか。
どちらにせよ日常からは離れてこの歌の中の誰かは色々なことを考えます。眩しさと向き合えるかな、呼吸をしていていいのかな。もしかしたら日常の中を生きる人や物の中に輝きがあったかもしれない、自分はいていいのだろうか。日常に苦しめられているのにそこから抜け出しても今度は何故か感じる負い目やその日常の中を生きる強いものに劣等感ばかり感じたり何をやっても心に救いがありません。
そういった心のグチャグチャも「隠してるから気づかれないんだよ」と。当たり前です。当たり前だけれどこんな思いを吐露すればというのは残酷な事です。それでも隠さなかったのなら何か変わっていたのかもしれない。堂々巡りをするばかりで聴いてるこちらも答えが出ませんしこの歌の中で苦しんでいる誰かと、そしてBUMP OF CHICKENは僕以上に悩んでこの問いと向き合ってきたはずです。

ラスサビは圧巻です。BUMPが常に歌ってきた「孤独」というものが心を蝕む恐ろしさと逃げ道としての安息場の両方を持つこと。愛されたいが故に傷つくのを恐れて孤独を選んだ人間の手を引いてやると。「構わないからその姿で生きるべきなんだよ」と。
「一緒に頑張ろう」とか「これから強くなっていこう」とかそういう言葉がこの歌の中に出てくることはありません。歌の中の誰かのようにその人が紡いできた日常や心の重さを知っているからこそ、悩む人や孤独に逃げた人のことを否定もせずにただ受け入れること。答えが出るわけのない堂々巡りの問いと向き合った結果そうするほかないからこう歌うしかなかったのかもしれませんが、やっぱり「あなたのままで構わない」「こちらから何をするわけでもないけれど、あなたが手を伸ばしてくれたら全力で引っ張りあげる」というそれこそがBUMP OF CHICKENがこの曲に込めた意志だと思いました。

長々と重いことばかり書いてしまいましたがこの歌は間違いなく聴いた人の心に1つのピースを足すような、切り取られて日常の中に組み込まれるそんな歌です。これを読んでいるあなたが興味を持ってこの歌を聴いて、その中から何かを感じていただければこれを書いた意味があるだろうと思います。



embrace

温もりの歌。「ギルド」からこの歌への流れが神がかり過ぎてます。大好きです。

「embrace」は「抱擁」の意味で、歌の中でもたまたま出会った孤独に生きる者同士が互いの温もりを確かめ合います(「K」に出てくる絵描きと黒猫のお話を違う面から見た説もありますが今回はそれ抜きで考えます)。
温もりという言葉をを強調するように「撫でる」「触れる」「キスをする」という行動も多く出てきます。触って温もりを確かめることでそこに存在していることを確かめること。

アルバム収録以前は2番のサビ直前の歌詞が「願わくば掌に 一つ情報が欲しい」でした。呼吸の音も誰かの匂いもあるのに掌に触れたい、温もりを感じたい。藤原さんが「温もり以外は信用していない。」と語った話もありますが、実際生きていく上で人に"触れる"ことをしなくなったと思います。日々の中で温もりという感覚がなんだったのか少しずつ忘れていくことも孤独に向かって心をすり減らしているのかもしれません。

歌のラストで、結局はただ自分と同じように生きている誰かの温もりが欲しかっただけというエゴ丸出しで「確かなものは温もりだけ」だと言い切ります。
出会った君がいなくなれば必死に探そうとしたり目が見えないとしたら細胞全部で君を見てやると言ったのもただ誰でもいいから温もりが欲しかっただけ。孤独を感じたとして「誰かにいて欲しい」というのは身勝手なことでしかなく、この歌の中の人物が語るような行為はそれこそ気持ち悪いのでしょう。

ただ、そういう気持ち悪さや自分勝手も含めて孤独の中にいる人間の苦悩がわかるからこそ愛しいんだと思います。「ギルド」と同じでこれも堂々巡りにしかなりません。誰かの温もりが欲しい、そばにいてほしい。それは身勝手な考えにしか過ぎない。でも…

ラストのembraceのコーラスがそういったヒトの気持ち悪さも愛しさも全て含んで「抱擁」しているようでした。あなたが今触れている誰かにとってあなたの存在は誰でもいいのかもしれないというのは残酷ですけれど、もしかすればあなたも同じように持っているエゴを否定することなく抱き止めている歌です。まさに人間の歌だと思います。




sailing day


ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険」主題歌。PV中にも麦わら帽子を被った男たちが乱入してなだれこんでくるシーンがあります。
といっても主題歌を担当したとはいえやはりBUMP OF CHICKENです。アニメ作品とは離れた場所でも勿論こちらの日常に染み込んでくるような内容になっています。

内容は「ギルド」の「世界は自分のモンだ」を別の視点から見たらこんな感じになるのかなあとしか言えないです。ただ前半5曲に比べれば「グングニル」とか「バトルクライ」に似た日常を戦う誰かを鼓舞する強い意思表示みたいなものなので聴くたびに元気を凄く貰えます。

後は典型的にBUMPが一対一で聴き手と向き合っていることが凄く分かりやすいと思います。「それぞれの見た眩しさ」っていう言葉もそうですね。「オンリーロンリーグローリー」にもあったように最果てなどない光を何かの尺度に当てはめることは絶対にしません。CDを通したとき、そしてライブですら聴き手ひとりひとりと向き合うことをずっと考えてきたBUMP OF CHICKENというバンドのエッセンスが沢山詰まっていると思います。

最近はこの歌を聴くたびに、「私達が過ごした時間の全てが、それが輝きだったんだ。探していた私達の輝きだったんだ。」というフレーズが浮かびます。
わかる人にはわかると思います。
これからも弱さゆえに日常に押し潰されそうになったとき、過ちも敗北も絶望も含めて冒険の日々を全て抱えてきたビリーヴァー、ドリーマーたちの姿を胸になんとか立っていようとしたのならいいのかなって思いました。



同じドアをくぐれたら

決意の歌。「sailing day」も何かに向かっていく歌だとは思いますが、こっちはもっと現実的というか決別のほうの決意ですね。

「何かを掴むことで何かを諦めない」なんて言葉がありますが、この歌ではどれも捨てられないものを秤にかけて捨てながら前に進んで行きます。
今まで一緒に歩んで一緒に何かを拾ってきた誰かとは同じドアはくぐれない。「sailing day」で歌われたそれぞれの眩しさはそれぞれの眩しさなんです。誰にも比べようがない、時としてそれは残酷なことで誰も自分と別の誰かのドアをくぐることは出来ません。

「君」といた場所も忘れる、「僕」の歌声もいつまで「君」に届くかわからない。それでも捨てられなかったから歌うしかなかったんだと思います。涙も記憶も引き換えにしようとしたけれど「僕」と「君」が互いにいたことは捨てられなかったのか。ちょっと「花の名」っぽいですね。
結局「終わり」を考え始めると今いること、決別してそれぞれの道を歩む上で何故別の道を歩んだ誰かに歌いかけるのかも上の歌たちと同じようにぐるぐると巡っていつまでも答えが出ないんですよね。答えが出ないというよりは説明する言葉がない。それぞれ歩む道の違う誰かに僕たちが歌いかける意味を言葉では説明出来ないけれど、歌いかけることが何故大事なのか、何故こんなにも愛しいのかを知っているはずです。

この歌はきっと言葉にならないそんな揺らぎがメロディーにのって僕たちの元へ届いていますし、ただ一人しかくぐれないドアを誰かと別れてあなたは一人でくぐろうとした強さがあるんだと。そんな風に言ってくれているのかなと思いました。



おわり

やたら長くなりそうなので読みやすさと投稿スピードを優先して前半部だけ切り取りました。「ユグドラシル」について書くにあたって自分自身新しく気づいたことだったり今現在の思いの丈を出来る限り載せてみたので自分にとってもいい刺激になりました。
前3作よりも言葉にするのが難しい分皆さんが心の中でこのアルバムについて考えていることも沢山あると思います。これを読んでくれたあなたが少しでもそんな一部を思い出したりあるいは誰かに伝えようとしてくれたならすごく素敵なことだし、嬉しく思います。

まあとはいってもまだ前半だけなので、引き続き後半も読んで楽しめるような記事が書ければいいなあなんて思います。


では後半に続きます。ひとまずさようなら。

眠るチカラと情熱のランプ

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記事を閲覧してくださった皆さま、どうも。こんにちはの方はこんにちは。こんばんはの方はこんばんは。

年が明けてからすぐにTwitterにて #実質サンシャインのテーマソング選手権 という何やら興味深いハッシュタグを発見しました。
過去の記事にて同じようなことを既にやっていたのですが、今回は前回のものをもうちょっと気楽にした感じのものをやっていきます。

といっても、「ここの箇所とここの箇所が合致してるから実質~」というような、自分の好きなものの言葉を借り物にするような手法は今回も、というかこれからもあまりやりたくないのでやりません。そういうことがあったとしてもそれは表面上の繋がりだけじゃなく根本的な繋がりがあることに気付くことの一環かなと。

楽曲自体が個々に存在して個々のパワーを持つ。そこで自分の体を経由した時に同じメッセージ性とか考え方を受け取ったというのが僕にとって好きなものが繋がったということなので。ですから、個々の曲から感じたことがふとリンクするようなそんな感想みたいな何かが今回は書ければいいやと思ってやっています。

長々と書いてしまいましたが曲についての内容は楽しく読めるように頑張っていきますので、よろしくお願いします。


今回はBUMP OF CHICKEN「ランプ」Saint Aqours Snow「Awaken the power」です。
ご存じの通り僕はBUMP OF CHICKENAqoursも好きなのでよくこの2つのこんなところがいいなあとかやってるうちにふと繋がりを感じることがあります。その繋がりを皆さまに知っていただいて、BUMP OF CHICKENが好きな方はAqoursの、Aqoursが好きな方はBUMP OF CHICKENの魅力をちょっとでも感じたら楽曲を聴いて欲しいと思います。


まずは個々の楽曲を見つめ直してからじゃあ自分は共通に何を感じてるのか?ということを書いていきます。


ランプ

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ランプについては過去の記事にも触れているのですが、最近リピートしてるうちにこれじゃちょっと足りないかもと思うところが少しあったので、過去の記事+αということでランプについて書いていきます。

ランプは終始自分自身の歌です。
夢や理想がどこか曇ったり叶えようとして挫折したり、感じていたはずの愛や安心を他人との摩擦で感じることができなくなったり。そうして残った丸裸の何もないはずの自分から「ハローハロー」と呼び掛けてくる声。

いい影響にしろ悪い影響にしろ、何かに対処する・立ち向かう瞬間で何とか出来るのは自分だけ、奮い立たせるのは自分だけという事実を今書いているようにそのまま言葉にすると多分どこか厳しく感じると思います。どうにかするのは自分以外ないと頭でわかっている、それ以外に選択肢がないとしてもその事実が冷たく感じるような。

ランプもそうやって事実を言っているんです。土壇場で呼び掛けてきたのが自分ということですから。しかし、このランプという歌に出てくるシチュエーション自体は僕たちを取り巻くただの事実だとしても、その事実のなかにBUMP OF CHICKEN意志が確かにあると思っています。

そうじゃなかったら自分自身を示す「ランプ」に対して「誇れるベストフレンド」「頼れるパートナー」なんて言葉は事実だけなら出てこないからです。そもそも自分自身が自分自身に語りかけてくること自体がみんな土壇場じゃ孤独なんだということを認めつつも、孤独じゃないぞと言ってくれているようで。「一人で立ち向かう」と「一人じゃない」は矛盾しないんですよね。

だからこそこの「ランプ」という歌、BUMP OF CHICKENの歌というのは自分のシチュエーションに当てはめて感傷的になるだけに留まらず、ああなんか辛いなあと感じたその時に歌詞やメロディーが頭に浮かんで力をくれるようなパワーがあるのだと思います。

過去の記事でも書いたことと同じことを言うのですが、この歌は情熱のランプに火を灯す直前に終わっているのですが、それが凄く良いです。「ランプ」という歌を聴いてこの物語の「僕」と「君」だけでなくリスナーも一緒に火を灯すんだと感じることが出来るので。あと、今回の共鳴ポイントはここだったりします。

余談ですがこの記事を書く前に「ランプ」について書いている方がいないか探していたところ、


2つほどいいなと思ったものを発見しました。1つ目のものは最後の歌詞の意味になるほどなあと凄く納得し、歌の味わいがまた変わったので、2つ目のものは僕が前に書いたリビデの記事の進化形みたいな感じだったので、同じことやってる人がいたんだなあと嬉しくなってここに載せさせていただきました。


書いているうちに僕がBUMP OF CHICKENを好きなのは事実の中にある彼らの意志だと改めて気づいたので、それだけでも僕的には今回書いた意味が結構あります。
それでは次の楽曲にいってみましょう。




Awaken the power

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ラブライブ!サンシャイン!!第2シーズン9話の挿入歌。
Awaken the powerはアニメ挿入歌ということで、例えば歌詞を引用するということはメロディーを伴ってのことなので読んでいる言葉以上に引用した側の気持ちというのがあると思いますが、アニメの挿入歌ということはさらにストーリーを伴います。

ですがCDを入れて音楽を聴くというときになって、この歌はアニメの物語を感じて彼女たち11人のストーリーで感じたことを思い返すものというだけではないと僕は思いました。BUMPの記事で書いているようなことを言うなら、聴いている歌を自分の状況に当てはめるとか何でもいいので、自分の領域に持ってきたうえでいいなあと思うことが今までの曲以上にありました。なので今回はストーリーを含んで曲を聴いたとき、ストーリーを抜きにして曲単品で聴いたときとで感じ方がいい意味で違ったなと思ったときのことを書いていければなと。

長々書きましたが要するに曲単体のパワーが強いというだけです。


9話のストーリーと一緒に考えたうえで感じたことをまず書きます。Aqoursの1年生トリオwith理亞で書いた曲なだけにところどころ背伸びして書いたようなものという感じがあまりしないようになってるなあというのがあります。言葉を沢山知ってても強く伝えたいときに出てこない(ここはある意味自分の解釈)というような1番のあるフレーズがとても好きなのですが、直接的な言葉でもなく背伸びした言い回しでもなく、ただありのままの気持ちが書かれているのが凄く良いです。

絶対負けない!どこへ行こうか?ってフレーズも凄く良かったです。勝ち進むも廃校が確定して、名前を一生残すために負けない!と前を向くAqours。ミスで敗退してしまった大会を引きずってしまうのなら終わりにしなければいいんだよ!と、暗闇の中でもう一度手を伸ばしたSaint Snow。2つのグループで負けない!という意味合いこそ違えど(Saint SnowからAqoursへのエールっていう意味も勿論あると思います)、1つのグループとして手を取って何が起こるのか11人の、ひいては誰にもわからない先に対するワクワクが溢れ出すことを歌っていることが本当に幸せに感じました。

また、かつての劇場版ラブライブ!でのSUNNY DAY SONGのように別々のグループが手を取り合うということでは一見して同じことですが、また意味が違っていたと思います。優勝したμ'sのような大きな力に多くの人が引っ張られるというよりはもっと小さな引力、言い換えれば出会いとか運命もっと言えば奇跡という言葉になるものが引き合わせてくれたものなのかなあと。
それにサンシャイン!!は前作よりも僕たちとの距離がずっと近いです。μ'sが憧れの存在として勇気をくれる9人とするならSaint Aqours Snowは僕たちの横を一緒に走りながら勇気をくれる11人でした。

第2シーズンの5話でたびたび取りざたされる「全てに意味がある」という言葉は「全ての出会いに意味がある」だと僕は思っています。誰かと出会ってそこに誰かがいること、いたことが自分の糧になって全て繋がっていくことがAqoursだけでなく画面越しの僕も感じることがたくさんあったので心からそう思います。


アニメのストーリーを考えながらAwaken the powerを聴いていくと聖良と別れてこれから歩んでいく理亞、浦の星とお別れするAqoursこれからに向けて楽しみだ!と言ってのけるのが僕にはとても嬉しかったなあと、そんな感じに落ち着きました。



CDからこの曲を聴いて自分の領域に持ってきたとき、タイトルから感じるようなmy power new powerという言葉や眠るチカラという言葉が凄く頭に残りました。

Awaken the powerを聴いているときの感覚は今までの曲の中で一番BUMPの歌を聴いているときの感覚に近かったです。「眠るチカラ」という言葉のやさしさというか、自分にも火種が宿っていることを認めてくれているんだなと感じました。

逆にBUMPと違うのはやっぱり「世界は輝いている」というところです。事実を語っていくBUMPが「ray」で歌ったのは世界に自分がどうこうでなく生きるのは最高だ、ということだったり「ロストマン」では世界は「君」のことを置いていったというようなある種の無力みたいなことも歌われていて、世界という言葉の残酷さだったり冷たさだったり、時にはあたたかさをあくまで事実として歌うことで僕たちの日常に寄り添ってくれるのがBUMPの歌だと思います。

それに対してAqours、そしてSaint Aqours Snowは世界が輝いて見える魔法をかけてくれます。日常を戦う勇気をくれるのがBUMPだとすれば世界を輝かせることはできる、世界は輝いている、輝こう!と言ってくれるのが11人です。
どちらも矛盾しているわけでなく、どちらも自分が立ち上がる場面でちょっとでも力になるような歌として人々の、そして僕の元に届いています。



そんなこんなでAwaken the powerについて感じたのはこれくらいです。というわけでじゃあどこで繋がりを感じたのかという話を少しだけします。




眠るチカラと情熱のランプ

タイトル通りの見出しにしました。なぜこのタイトルなのかも含めて今から書きます。

「ランプ」のときに書いたのと同じようなことなのですが、 これらの曲は2つとも聴いている僕たちのこれからに委ねられている歌だと思います。「ランプ」では灯そうとしている情熱のランプ。Awaken the powerでは目覚めるチカラと一緒に向かう場所。どちらも動き始めるところで終わっているからこれは俺たちの歌だ!みたいなことを感じる方が沢山いるのでしょうし、その中にはもちろん僕も入っています。

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そっか、ルビィずっと勇気を貰ってたんだ。

お姉ちゃん、ダイヤさんの元を離れて挑戦してみて初めて気づいたこと。ダイヤさんが今までくれた勇気を秘めて言葉を放ったルビィちゃんはまさにマッチが芯に触れランプに火を灯し眠るチカラが動き始めたのです。ダイヤさんに貰った勇気だけでなくルビィちゃんの力で歩みを進めて行く様子はまさに「ランプ」でもあれば「Awaken the power」だったと思いました。



眠るチカラと情熱のランプ。世界の見方は違えど、どちらも今いる世界の中で前を向いて歩いていけるようなパワーが聴く人の元へ届いているのだと思います。





おわり

なんだかんだ長くなってしまいました。皆さまもこんな長い記事を最後まで読んでくださりありがとうございます。

この記事を書くにあたって、最初に書いた通りなのですがBUMPの歌がくれたものを考えずに表向きだけ照合させていればそれは表向きだけに留まってしまうでしょうし、何より「BUMP OF CHICKENの歌」としてまず受け止めることをしなければそれ自体がBUMPの意に反してると思い、改めてそこだけ気を付けました。Aqoursも然りです。なので、言葉を借り物にする前に少しでも受け取ったことを書いてみようとしたら今回のような形式と長さになりました。

BUMP OF CHICKENAqoursもこの記事で書いたもの以外にもいい曲に溢れているので、興味を持った方が少しでもこのバンドやグループの楽曲を耳にしてどんな短い文字でも感想なんかくれたりすると僕はとても嬉しいです。


ということで繰り返しになりますがここまで読んでいただきありがとうございました。ユグドラシルの記事もちまちまやっていくので、jupiterに続きユグドラシルは青春という方々が楽しめるものが出来ればと思います。何かあればコメントとかもよろしくお願いします。

ではでは。✋

CHICKEN'S トーク番外編

どうも。

まずはこのブログを閲覧いただきありがとうございます。初めましての方も何回目かの方も何とぞ今年もよろしくお願いいたします🙇🎍

 

2018年、新年一発目にユグドラシルの記事を書こうとしたものの自分でも咀嚼しきれていないのと内容の重さが新年一発目にしてはという感じになりそうだったので、現時点で紹介しきれていないシングル曲のカップリング(present from you収録のものを除いて)や、発表曲について軽めに書いて新年最初に納める記事にしたいと思います。といっても2曲分とちょっとくらいしかやりませんのでサクッと読んでいただけたらと思います。

 

いつも通り前置きが長くなってきたので早速始めていきます。

 

 

 

 

バトルクライ

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インディーズ時代に発表したシングル「LAMP」のカップリング曲。メジャーレーベルから発売しているFLAME VEIN+1にも収録。ちなみにこのシングルの表題曲「LAMP」は「THE LIVING DEAD」の「ランプ」と同じものです。

 

内容はというと嘘にすがる歌です。これだけ聞くと「Ever lasting lie」を思い出すかもしれませんが向こうとは嘘の内容がてんで違います。自分に「まだ頑張れる」と嘘をつく人への歌です。

 

だからツアー回ってて、お客さんにツアーの感想的なお手紙もらうこともあるんですよ。で、どんな言葉で書いてたのか忘れちゃったけど、いわゆる淡々としてた日常に活気が出てくるというようなことを書いてくれてたんすけど。そんなの、だって俺は日常しか歌ってないし、あなたは日常を生きてるわけだし。つまり俺はあなたの日常を歌ってるわけだし。で、あなたが俺らのライヴで感じたことはあなたの日常なわけだから、あなたの日常のドラマティックさ加減がどれほどのものか、と。つまり、現実っていうものがどれほどドラマティックかと。

 

今までも、そしてこれからもきっとBUMP OF CHICKENが歌うモノは僕たちの日常だったりそこに現れる事実だと思います。事実以上でも以下でもなく自分に置き換えて咀嚼できるような、あくまで歌はきっかけに過ぎないから歌から力を貰って動こうとした君たちが凄いんだぞというBUMP OF CHICKENのスタンスは今なお変わっていません。

 

そんな彼らのスタンスを象徴するかのように、戦いの場に立つ人に向けてSHOUT a BATTLECRY というのが本当に好きです。BUMP側から変わるようにどうこう言っているわけではないけれど、変わろうとした人には精一杯手を差し伸べるBUMP OF CHICKENのあたたかさを凄く感じられる曲です。歌の通り「優しさでもいたわりでもない 戦い抜く勇気を」くれるんです。

 

jupiterの記事のダンデライオンの項でも言ったように、歌そのものは自分が直面してくれる問題や壁に対してどうこうしてくれるものではないけれど、その問題や壁、あるいは日常のあるシーンに対して向き合う力だったりふと何かを感じるきっかけを与えてくれることがいつかの場面で必ず来るものというのが僕にとってのBUMPの歌です。まさしく歌うことの意味を歌う側が世に放ったのがこのバトルクライだなんて思いました。

 

余談ですが年明け後に筆者はこのシングルを購入しました。FLAME VEIN+1を購入しなかったのは既に廃盤になっているため値段がやや高騰しているこのシングルを買う意欲を消さないためというしょうもないエピソードがあります。

 

20周年記念ライブで披露されたこの曲も良さが尋常でない(語彙消失)ので昔からの方はもちろん最近彼らのファンになった方もチェックしてみて損はないと思います。

 

 

 

 

ダイマでした。

 

 

 

 

BUMP OF CHICKENのテーマ

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自分たちのテーマ曲を作ろう!と最初期に作られ、インディーズ期でのライブの最初に歌われたり初期のデモテープや限定販売CDにしか収録されていなかったBUMP OF CHICKENのテーマ。ライブでの披露も20年間で5回ほどしかないレア曲でしたが、20周年記念ライブではアンコールのトリを飾りました(正確にはダブルアンコールのDANNYが最後だったそうな)。Blu-ray/DVDの発売にあたってこの曲も映像やライブCDにて収録され多くの人の耳へ届くようになりました。

 

テーマ曲と言いながらもそこにはやっぱりBUMPのあたたかさがあって、4人が「へなちょこバンド」を自称してるのがすごくいいなあと。へなちょこバンドのライブにへなちょこ仲間を集めて行こう。へなちょこだっていいじゃない。「へなちょこ」という言葉が彼らのユニークさを表すのにぴったりというのもあるんですけど、この言葉があるからBUMP OF CHICKENのテーマなのに自分たちに寄り添う歌のように聴こえるんですよね。20年以上経った今でもBUMPが「へなちょこバンド」を歌っていること自体が20年以上も根っこが変わらず、歌を耳にして上を向いた人々の手を引っ張り上げてきたことを証明してくれているようですごく好きです。テーマの歌詞通り「手を繋ぐため 魔法をかけた」ってことなんでしょうね。

 

変な話ですがBUMP OF CHICKENのテーマはタイトル通りBUMP OF CHICKEN自身だけの歌でなく、BUMPに触れている僕たちも囲んで一緒に歌ってくれているんだと僕は思います。やっぱり好きです、BUMP OF CHICKEN

 

(おまけ) 

曲が曲だけに耳にしたこと一回もないよ~と言う方へ。他の方のカバーですがメロディはこんな感じかあと知った上で想像を膨らませて、興味が湧いてきたらBlu-rayやDVDを持ってるお友達に見せていただいたり聴いてみたり、色々なやり方でBUMP OF CHICKENが歌うこの曲に触れてくれたらと思います。 BUMP OF CHICKENの歌で誰かとの繋がりを増やしていくのもまた素敵なことですから。

 

 

 

 

おわり

どう考えてもBlu-rayとCDを買ったから書いたような記事になりましたが、バトルクライもBUMP OF CHICKENのテーマも本当に知って欲しいなあとなってからはいつものような雰囲気で書けました。バトルクライは再録のおかげで聴きやすくなってるのでバトルクライの収録されているFLAME VEINを見かけたら買うなりレンタルするなり損はないと思います。テーマは聴く環境を作るのがちょっと難しいので周りの人に頼ってみるのがいいです。

 

付いてきたライブCDもいいなあと思うところが沢山あるのでこれからはアルバムだけじゃなくライブCDとかBlu-rayもこれが良かったとか書いていけたら楽しいんじゃないかなとちょっとだけ考えています。やるかは分かりませんが。

 

 

では今回はここいらで終わりたいと思います。ここまで閲覧いただき本当にありがとうございました。繰り返すようですが今年もこのブログをよろしくお願いいたします🙇

 

 

(おまけ その2)


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LAMPのCDの歌詞カードもFLAME VEINの時と同じ手書きでした(THE LIVING DEAD以降は手書きでない)。カラオケとかだとランプはこっちの歌詞カードまんまの言葉が表示されたりします(筆者は最初このシングルの存在を知らなかったので歌詞の文字にたまげた)。

 

 

今度こそ終わりです👋😊

CHICKEN'Sトーク③ jupiter

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どうも、このシリーズも早いもので第3回目です。

今回からいよいよメジャーデビュー後のアルバムについてなんとなく思ったことや感想を書いていきます。このあたりはCDを買っていたとか何曲か聴いたことがあるといった方が多いと思います。
第3回目は「jupiter」。 藤原基央さんの好きな宇宙がこの頃からアルバムタイトルやジャケットに現れ始めました。前回の「THE LIVING DEAD」のような切羽詰まった状況での結晶とはまた違い、かなり前向きな(に捉えられる)曲がたくさんあります。僕自身購入したのは5年前ですが多くの場面で何度もお世話になっています。

さて、それでは楽曲の感想をひとつひとつ書いていこうと思います。




Stage of the ground

初っぱなからヤバイ曲。ライブの最初に演奏されたりすることの多い歌です。

まず歌の始めからヤバイです。「飛ぼうとしたって羽なんかない」と歌い出しから気づいています。タイトル通り地面からのスタートです。
ただ、地面からのスタートと言っても僕たちはやっぱり飛べないので地面はいつだって地面であり365日ステージなんですよね。厳しく言えば誰にでも土俵は開かれているだけとなってしまうかもしれないけれど、僕たちはいつでもステージに立っているんだと。主役は自分なんですよね。

「君の眼は必ず 再び光るだろう」もヤバイです。いったん眼が光らなくなった前提なんですよね。この歌は自分の眼に光が今は宿っていないことを知っていて、それを肯定するでも否定するでもなくただ今とこの先を歌ってくれている。苦しい状況に背中を押してくれるとっておきの唄と言っても過言じゃないです。

「優しくなりたいと願う~」の箇所もすごく好きです。誰かのためを願ったらそれだけで君はいいと言ってくれているような気がするので。人に優しく出来ている出来ていないでなく思うだけで心からの想いがあるんだと。そうだったら素敵じゃないですか?

このままだと歌詞のひとつひとつを拾って「好き」と言うやつを全部にやりそうなのでここまでにしておきます。

結論:全部ヤバイ




天体観測


説明不要の1曲。説明不要すぎるので長々と説明はしません。

「イマ」というほうき星を追いかける歌。あえて言うならばどこかで聞いたシチュエーションです。
あえて作品名は出しません(というより各々の作品がおそらくあるので)し、何かシンパシーを感じた作品のあるなしに関わらずこの曲の持つ魔法やパワーは変わらないはずなのでそのことについてだけちょっぴり言って終わります。

僕が見ている限りは誰しもが日常のどこかのポイントで「イマ」というほうき星を追いかけ始めたと思うのですが、その途中で見えてるものを見落としちゃうんですよね。前回の記事のグロリアスレボリューションもそうでしたが、何かを追いかける途中で大切なものだったり誰かを忘れてないか?っていうのを聞いてくれているんですよね。

歌の最後で、「僕」は「君」とほうき星を再び二人で追いかけるわけですが、「君」がいたこと、いることにまた気づいたんだと。そこが自分にとってはすごく大事なことに聴こえました。

ライブだとそんな最後の歌詞は『「イマ」という ほうき星 僕らみんな追いかけている』に変わってることもあります。もちろんこの曲もずっと大好きです。



Title of mine

音楽になった理由っていうのはあんまりよくわかんないけど、俺が“孤独”って言葉に対して思うのは、マイナス的な要素でもなくプラス的な要素でもなく、ひとつの事実であって現象であって、否定的になる必要もないかなと。ただ、受け入れる必要はあるかなと。


孤独を望んだフリをしている歌。
人に触れるのは別れたり傷つけられたりと痛みを伴うから触れたくない。でもやっぱり誰かの温もりを求めている。人に触れたい。

上記のインタビューで言われてる通り「孤独」っていうのはあくまで事実なんですよね。人と触れることから逃げるための言葉ではないし、人に触れられないでいる人を蔑む言葉でもない。Kでも孤独でいた方が楽という話をしましたが、「孤独である」という事象に甘えてはいけないんだなと。「人に触れていたい」と正直に叫ぶべきですよね。自分にはアイデンティティがない、自分には他人に話せることが何もない。そんなことを言って誰とも距離を置いたところで本当に誰もいなければこんな風に自分の好きなことをここにわざわざ書く必要もない。僕も誰かを求めてこれを書いているはずなので。本当に耳の痛いお話です。

誰もいないなら俺が唄う意味はない、と叫ぶこの歌はこの先まともに聴いていけるかかなり怪しいです。でも頑張っていきます。多分。

誰かのアドバイスに助けられてっていうのもあるだろうけど、誰かのアドバイスを自分の意志で汲み取ったわけですから、そのアドバイスを自分で実践してみようというふうに自分で決意したわけですから、それも自分の力だと思う。その程度のことにしか思ってない

この歌を自分の力でどうにか出来る日は来るでしょうか。




キャッチボール

タイトル通りキャッチボールの歌。

変化球や消える魔球も絶対に取りに行く。「取れなくてもいいよ」と言って欲しくないから。少なくともボールを投げることを自分で選んで投げた「君」の優しさや心を取りこぼしたくないんですよね。慣れてきて距離が遠くなるけれど心は近づいているってフレーズでこの曲すごいなといつも思います。

これは比喩ですが、ここ1年くらいで色々な方がキャッチボールをしている姿をよく見かけるようになりました。バッチリ捕球出来ているところもあれば取りこぼしているところも両方見たと思います。
僕は誰かが投げたボールをちゃんと追いに行ってるかな?とふと思いました。自分が好きなものについて言うとき、相手が好きなものについて言うとき、これはちゃんとキャッチボールになってるかな?、全力でボールを追いに行っているのが相手だけになっていないか?と。

この記事も僕にとってはそうです。この記事というか僕がCDを買って歌を聴いて何かを思ったことそのものがBUMPにボールを投げてるのと一緒だと思っていますが、BUMPの投げてくれているボールをきちんと取りに行けているかなあと。正解不正解というよりは自分の都合のいいようになっているかいないか。
BUMPとこれからもキャッチボールが続けられるようになっていければいいし、続けられるようにアンテナを張っていたいなと思いました。





ハルジオン

白い花のお話。くたびれた状況、くたびれた記憶のなかで白い花だけが鮮明に残っている。

僕のために咲いてる花っていうのがすごくいいです。俺のための○○という言葉をよく聞くようになってからしばらく経ちましたが、なにか差し迫った状況に身を置いたときにこれは俺のためにあったんだ!となるものがあることはすごく心強いです。自分の足取りを強く支えてくれますから。

しかしその花も途中で枯れてしまいます。けれどその中で花の芽を再び見つけることができた。
これ、僕にとってはBUMPを再び聴くようになった経緯そのものなんですよね。ちょっと前の記事に昔は聴ける曲聴けない曲の話をしましたが、BUMPから1度離れて戻ってくるまでに1度大きな失敗をして自分について考え直す機会が多くあって、それがあったから「R.I.P.」や他にも多くの曲とまた再び違う出会い方をすることができて。
BUMPの歌は自分の日常とリンクすることが多いですし、その瞬間は体の内側から何かが飛び出してくるような気分になります。その瞬間瞬間で枯れても枯れない花が咲いてるのかなあなんて思いました。

ところで、ハルジオンってどういう花なんでしょうか。調べてみましょう。

ハルジオン(春紫菀、学名:Erigeron philadelphicus)は、キク科ムカシヨモギ属の植物。北アメリカ原産で、日本では帰化植物となっている。ヒメジョオンと共に、道端でよく見かける。一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。花言葉は「追想の愛」。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%B3

ウィキペディアまんまコピペしましたが、道端でよく見かける花って考えるとさらにアツいです。道端に咲いてた1つの花が僕のために咲いてるっていうのがヤバイですね。語彙がないのでこの辺りの感情は上手く説明できません。あしからず。




ベンチとコーヒー

藤原さんが同じBUMP OF CHICKENのメンバーである直井(チャマ)さんに贈った曲。今でも手書きの歌詞カードを直井さんは自宅で額縁に入れて飾っているそうです。
とはいえメンバーに贈った歌といってもメンバーのためだけに歌ったものではなく、やっぱりBUMP OF CHICKENとしてこっちに向けて歌っています。そこは変わっていません。

この歌はほんとうにありふれた日常だなと思いました。道行く人々だったり太陽だったり自分に寄ってくる鳩だったり、そういうものに対してなんかいいなあとか自分は何だかダメだなあとか。
日常の中で目に入るありふれたものに対して抱くささいな気持ちだったり心の動き、ハッとする瞬間が歌に切り取られていてああ、あるよなあとなります。

そんな日常のささいな動きを聞いてくれる解ってくれる人がいるあたたかさが身に染みる歌です。





メロディーフラッグ

過ぎ去りし時のなかに立つ旗の歌。

昨日でも明日でもなく「今」を歌った歌というのがいいです。特に「明日」じゃないのが好きです。

「今」という言葉について触れる機会はここ1年強で本当にたくさんありました。月曜日じゃ遅すぎる。今、全力で輝こう。それこそ「イマ」というほうき星だってそうです。
これからさらに日々が過ぎ行くなかでBUMP OF CHICKENの歌を聴いて感じたものが未来で曇っても、また思い出していけるようなそんなものを感じます。
ちなみにこの曲自体は一時的な記憶喪失に陥った友人に贈った曲だそうです。けれどそれがある個人でなくCDを入れて聴いている色々な人の心に響いているのはやっぱりBUMPらしいですよね。

この曲が一番言葉にするの難しかったです。余談ですが、最近買ったYUKIのシングルCDのタイトルが「フラッグを立てろ」なので数年越しにフラッグが立てられました。こちらもすごく好きなのでBUMPの記事ではありますが興味があればぜひ聴いてみてください。





ベル

耳障りな電話のベルの歌。

自分のことなんかたいして知りもしないのに、明日にはこうして電話したことも忘れてるんだろうにと思いながらも、「元気?」と「君」が電話してきてくれたことに救われる「僕」の姿には共感するものがありました。

人に自分が思っていることはこうだ、考えていることはこうだと言いたくてもなかなか伝わらない。いつでも本音の少し手前で止まってしまうから理解されずに、相手に理解されようと思うことも止めてしまう経験ってたくさんあると思います。
そうやって口を閉ざしてきた人にとって「どうしたの?」と聞いてくれる人の存在は本当に救いになるんですよね。明日にはその人は自分に言葉をかけたことも忘れてしまうとしても、それは損得とは違う心から寄り添った言葉だと思うので。

こういう記事などで自分の言葉を何かにおこしていくうえで、これを読んでいるひとりひとりの事情は全部わかりようがなくとも自分の言葉が誰かにとってちょっと前向きになれる魔法がかかっていればなんて思います。




ダイヤモンド

メジャーデビューシングル。これも説明不要レベルの一曲。

「“ダイヤモンド”って『弱い部分、強い部分全部ひっくるめて自分なんだ。それを抱きしめてくれ』っていう歌ですけど、『弱くていいんだ。あ、よかった』って取ってくれる人もいるだろうし。でも人によっては『そうだ、弱い部分も俺なんだよな。これは困ったぞ』ってなる人もいるだろうし。俺はどっちも愛おしいです、聴いてくれた人は。前者の人はちょっと甘えるところを探してるのかもしんないです。でも後者の人は、その曲によってちゃんと覚悟をする人なのかもしんないです。どちらもどっちで僕は愛おしいです。だから何が言いたいかっつうと、優しいかもしんないし、厳しいかもしんないってことです。だってね、弱い自分を自分だと見直して過去に切り捨てたっていう歌ですよ。それを知ってしまう、ずっと呼んでたって気づいてしまう歌ですよ。それを認めろっつってる歌ですからね、ある意味ね。『おまえなんだからよ』って。だから聴く人によってはすごい厳しいんじゃないかな。『散々苦労して捨てたのにうるせえこと言うんじゃねえよ』って思う人もいると思います、いっぱい。だから人によってはものすごく厳しく響くだろうし、人によっては優しく響くこともあるだろうし。“優しい”って言葉をちょっと言い方を変えて言えば、人によっては都合よく響くかもしんないです。僕は、優しくしたいなとか思って歌ってるわけじゃないです。もうその中に厳しさだとか優しさだとか見つけた人の、その人の色なんだと、僕は思います」

ここが自分の人生観が変わった転機だと思っているので何度も同じ話になってしまいますが、大学にストレートで入れずもう1年やり直すことが決定したときはとにかく自分を恥じました。今までの自分の人生で何を積み上げてきた、何か人に誇れるもの、紹介できるものはあったのか。既に他の人とは離されているのに1年間さらに誰もかれも自分から距離を離していくのかと毎日考えていました。離されるのは仕方ない、積み上げてないのもしかたないと考えつつも、1日1日誰かと比べて劣等感を持ち続けるようなことばかりしていました。

この時期は「ダイヤモンド」はまともに聴けませんでした。弱い部分を他人に肯定されようと自分だけは認めちゃいけないと思っていたので。そうやって一人で戦うことが今の自分には必要なんだと。

今はもう少し違う聴こえ方になりました。今の自分に誇れるものがあるのかと聞かれたら口から出てくるようなことはないけれど、自分に誇れるものがないからこそ自分が目にしてきたものから受け取った気持ちを何かに返したい人に優しく出来るようになりたいとか、自分のことについて考えたり出来たので。

何回転んでもいいけど、すりむいた傷はちゃんと見なくちゃいけない。その言葉を忘れないようにすれば「ダイヤモンド」という歌は僕のなかで大事なもののままだと思いました。




ダンデライオン

これまたFlashや創作で有名なタンポポとライオンの歌。

この曲についての感想を見たりすると「嫌いもしなければライオンに語りかけることもないタンポポを好きになるライオンが可哀想」みたいなものをちらほら見かけるのですが、僕はそういう風にはあまり考えていません。
風に揺られるタンポポが頷いたように見えた、それだけで孤独だと思っていたライオンは誰かに寄り添って生きていけた訳ですから。本やテレビのヒーローは画面の中の怪人や怪獣を倒しても僕たちの問題を直接解決してくれないから応答してないのかって言われたら、ヒーロー達が与えてくれた勇気を自分に蓄積できたならそれは応答してると思うし、それは歌も同じですからね。
それに、タンポポもライオンと同じく生きていますから。何も物言わぬというわけじゃなかったと思います。そうは言いつつ最後はすこし悲しいですけれど。




おわり

というわけで3つ目にしていきなり難産になりました。逆に言えば、ひとつの歌に宿るものがどんどん増えているということなので、そういったものをじゃんじゃん形に出来たらいいなと思います。

jupiterは特に僕だけじゃなく多くの方の青春だと思うので、そういったことを思い出しながら視てくれた方がいたら嬉しいななんて思います。

それでは、ここまでの閲覧ありがとうございました。

CHICKEN'S トーク② THE LIVING DEAD

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どうも。ある意味自分なりの恩返し記事の第2回目でございます。

今回はインディーズレーベル時代の2つ目のアルバム「THE LIVING DEAD」です。
BUMP OF CHICKENにとっての暗黒期(このアルバムのレコーディングも1週間ほどしか時間がなかったそうな)を象徴する「生ける屍」をタイトルにしたこのアルバムから初めて物語形式の歌が生まれるようになりました。
じゃあファンタジー色が強いのかと言われればそうではなくて、そういったことについて今回は書けたらいいんじゃないかな、なんて思っています。



Opening

涙の落ちる音で駆けつけてきた誰か(ジャケットの男性らしい)が物語をプレゼントしてあげるよというそれだけの内容。
前述した通り物語形式の歌が初めて生まれたアルバムなので、アルバムの導入という意味はもちろんそのことへの決意表明みたいなこともあったのかなあと思いました。

歌詞は後に製作される(というか製作自体は出来ていたが発表しなかった)「プレゼント」の一部なので、プレゼントのときにこの歌についてはもっと書こうかなと思います。


グングニル


某フラッシュで有名な曲。僕も中学生のときにこのフラッシュを観て「なんだこのやべえ歌!?」となった記憶があります。ある意味僕にとってBUMP OF CHICKENに触れる原点のひとつです。

うさんくさい地図をなに本気にしてるんだと笑う人々、後ろ指を指す人々を振り切って自前の船、いわば武器で出港するもとんでもない荒波にもまれてしまう。その途中地図も自分で破り捨てた。けれど、何かを信じて突き進むその姿に人々は船に向かって手を振り始める。死に際、もう一度地図を拾い集めて荒波に立ち向かう。うーんかっこいい。
歌を聴いている間はこの「彼」がかっこよくて仕方がない、何かを信じて突き進む姿に人が鼓舞されていく様子が良すぎてあんまり考えないのですが、実際自分は何か目標のある人間を勝手に型に当てはめてないか?と問われている気もしています。お前が笑ってるやつだって宝物もってんだぞと。歌の最後で嵐に巻き込まれた「彼」は地図の場所にたどりつけたのか死んでしまったのかは正直答えを出せていないのですが(基本的に死んでいてほしくなタイプなので生きていてほしいです)、どちらにしても何かに立ち向かう理由になった宝の地図そのものが宝物だったことがすべてなんじゃないかなと。

「世界の神ですら君を笑おうとも俺は決して笑わない」というフレーズが好きで、いろんな場面で今もお世話になっています。



ベストピクチャー


絵描きさんのお話。安アパートの貧乏暮らしでこういう暮らしがいいなと絵を描いているけど、認められてる日がわからなくて苦しい。時が過ぎてお城みたいな家に住めるようになったけど、今度は描きたくもないような絵ばかりでなんで絵を描いてるかわからなくて苦しい。描きたい絵を描こうとしてもいい暮らしができてもどっちも苦しい。

これって多分今これを書いていることそのものなんですよね。以前大好きなあるアニメーション作品についての記事を書いていたのですが、いくつか書いている最中に「俺の言いたいことと違う!」「言葉を選んでも選んでも何か違うな」と違和感があって仕方がなかったので下書きに全て戻してしまいました。
好きなものを好きと言いたい、誰かに聞いてほしい、という気持ちで書こうと思ったはずなのにそれが出来ないこと、書いていかなくてはいけないようになってしまったことが苦しくなってしまいました。
これを書いている理由の根元はBUMP OF CHICKENに感謝の気持ちがあるから、その感謝の気持ちをたくさんの人と共有したいからなので、それを忘れてひたすら楽曲を聴いてここはこうあれはどうと言い初めてしまったらこの文章で伝えたいことも歌も遠ざかってしまうんじゃないかなあと。僕はそういうのをついついやりがちなので見てる方もなんじゃこりゃと思うことがあるかもしれませんけれども。

歌のお話に戻ります。何で絵を描いてるかわからなくなった絵描きは筆を折ろうとした。でもやめた。筆が、絵が好きなんでしょうって言ってくれた気がしたから。

生きてるぜ!絵を描いてるんだぜ!と絵描きが描くベストピクチャー。これを書いている理由というかこれを書いて何がしたいのかということをあらためて考えさせられましたし、この曲が無かったら前回の記事でまた途中で終わらせてしまっていたかも。ある意味この曲のおかげで完成できた記事かもしれないです。

そんなわけでこの曲好きになりました。ベストピクチャー。




続・くだらない唄

聴いていてむちゃくちゃに辛くなった歌。くだらない唄の続き?のような歌です。
R.I.P.のお話をしたときに聴ける曲聴けない曲があったという話をしましたがこれも聴けない曲でした。というか今になっても聴くときはかなり辛いです。

都会からタンポポの丘に帰ってきたけど昔の輝かしい思い出が今の自分に響いて仕方がない。この手は朝日の輝きに向かって振れない。
僕は自分の愚かだった行いを思い出して恥ずかしくなっては何なんだお前!?となる人間なので過去の自分が輝いてたとはあんまり思ってませんが、当時の自分だけに出せた雰囲気というか力はやっぱりあったのかなあとは思います。というか、そう感じてる人のほうが多いんじゃないかなあ。
歌の話に戻ります。手頃な台とヒモがあるから何となしに絞首台を作ってみたら原因不明の涙が止まらない。ここの涙は本当に原因不明というか、原因を探るのは野暮かなと。ただ行き着くところまできてしまったギリギリ感が伝わればそれでいいような。
帰ってきた頃は手を振れなかったと思っていた、輝いている朝日にまだ手を振っていいんだ振れるんだと納得できた「僕」。首は吊ってないけれどある意味一回死んでしまったことでちょっぴり自分のことを見直せたというか、ギリギリで生きてるけどそれでいいというか。ちょっとさっきから感じたことを書くのが難しいです。

ちゃんとこの曲聴いてなかったと思ってあらためて寝る前に聴いてみたら原因不明に尾を引きました。いや、本当に原因不明です。パワーがすごい。




ランプ

情熱のランプの歌。かなりネガティブな面からギリギリということに関して歌っていた前の曲とはうって変わってギリギリで生きてるなかで情熱のランプが語りかけてくる歌です。
FLAME VEIN製作後からTHE LIVING DEAD製作の間にこの曲のシングルCD「LAMP」が発売されたことからわかるように前のアルバムのキャッチコピー、「情熱は約束を守る」(好き)の色がめちゃくちゃ出てると思います。
自分の中の情熱のランプが語りかけてくる。大丈夫、大丈夫。いつも一緒にいるよ。こうやって語りかけてくるのはもう思い込みかもしれないですけど、なんとか生きてくぞって姿勢の自分に対して前向きな助けになってくれるそんな歌です。
今にも火をつけるぞ!火をつけるぞ!っていうところで曲が終わるんですけどそれがいいですよね。この歌を聴いて火がついたかどうかは僕たち次第だと思うので。この曲大好きです。




K

これも某フラッシュや、それを抜きにしてもかなり有名な1曲。ホーリーナイト。物語形式なのでここはこうって読み取るのもはばかられるので少し短くなっちゃいます。たぶん。
孤独が逃げ道っていうのは痛いところをつかれたなと思いました。一人なら悪意と向き合わなくていいから苦しくないし、他人の気持ちの機微に神経を使う必要もないから楽なんですよね。それでもやっぱり温もりを求めている黒猫がもう…このあたりは上手く言葉になりません。

最期まで駆け抜けるくらい芯のある猫だって知ってたからHoly Knightって名前をつけたんですかね。そうだとするとなおさら悲しくてでもあたたかくて説明のしようがなさすぎるので次の曲にいきます。申し訳ありません。




リリィ

ラブソングその2。といっても今回はラブソング以上に感じるものがある曲です。

これを読んでいるみなさんにお聞きしたいのですが、自己嫌悪に陥って自分なんかクソだって思ったときにそれを他人に言いますか?もしくは胸に秘めておきますか?他人に言うと答えた方は、自分を蔑むその言葉を否定してほしいですか?肯定してほしいですか?
僕はどっちかというと肯定してほしいと思っていた場面があったりします。面倒くさいやつなので、自分はそう思ってるのにいきなり「そんなことないよ」って言われたら自分の話なんて聞いてないんだって思ったり、慰めの言葉が聞きたいんじゃなくてとにかく自分を肯定してくれ!と願う(このへんは完全に人に甘えてますね、強くならねば)ことが多いので、気を遣って欲しいんじゃなくあなたの言葉が聞きたいんだと思うと肯定してほしいなんて思います。それはそれで「だよな」ってまたどんどん自責していくのでほんとうに面倒くさいやつなんですけれども。

歌の中に出てくる「君」は弱音を吐き続ける「僕」を見て、笑っている。自分が歌う言葉と自分とのギャップに苦しむ「僕」を見て、笑っている。笑っているといっても嘲っているんではなく、あなたはそういう人だからねと受け入れてくれる笑顔。「そういうところも全部かわいい人ね」と。
自分を否定する言葉に「確かにあなたはそうかもしれない」と否定はしないけれど、その上で自分のことを肯定してくれる。そんな人を望むこと自体甘えなんですけど、やっぱりその瞬間ってこのうえなく嬉しいと思うんですよね。本気で自分のことを見てくれてて本気で自分のことを考えて受け入れてくれているようで。これはただの持論でしかないですけれども。歌の中に出てくる「君」はそういう人だなんて思います。

歌の最後で「君」とはお別れするけれどそういう人がいたという事実は何にも換えがたいでしょうし、実際「最初で最後の恋人」ですし。ラブソングで相手と別れるとなったら悲しいものばかりだけれどリリィはすごく前向きというか、そういうところがいいなって思います。

余談ですがこの曲もイラスト付きで製作された動画で見かけてとても好きになり、何回も何回も聴きました。この時期の曲はフラッシュとか創作で知ったりしたことが多かったです。



Ever lasting lie

石油を掘り続ける人と待つ人のお話。愛する人のために莫大なお金を得るために「石油でも掘るしかないな」という言葉を真に受けてひたすら堀り続ける人は愛する人にも絶対に迎えに行くと言うわけですけどそんなのに決まってるんですよね。一方で女の人は娼婦のような仕事をしながら男の人を信じて待っている。

ここまでの話を聞いて何かピンときたあなた。そうです。ロミアです。ドラクエⅩⅠです。というわけでドラクエⅩⅠをプレイしてください。(了)
だとあまりに味気なさすぎるのでもう少し続けます。

歌の最後、女の人は亡くなるそのときまで男の人が来ることを信じ続けて幸せそうに眠ります。男の人はもう何故自分がシャベルで地面を掘っているのかわからない。でもただ堀り続けている。
男の人の嘘を信じて待ち続けたから女の人は幸せに目を閉じることができて、男の人も石油は掘り出せなかったけれど女の人に希望を与えていたわけで、突き通した嘘は人を救うこともあるんだなあと考えるとやるせないようなすばらしいと感じるような複雑な気分です。上記のゲームでは僕は真実を話すを選んで進行したので改めてこの歌のシチュエーションが心に刺さります。これが過ぎ去りし時を求めてか…

余談ですがこの曲8分を超え、間奏がむちゃくちゃ長いです。その長い間奏が過ぎ去った長い年月を表しているようで物凄くいいです。(特に後のカップリングでのAcoustic Versionは間奏が本当にいい。)そこも注目してぜひ聴いてみてください。



グロリアスレボリューション


タイトルを訳すと名誉革命。お前が呼吸してる(生きてる)ことを世の中に向かって叫んでいけ!という歌です。グングニルのような突き進む曲なのですが、この曲は言葉選びが本当に気持ちいいです。オッケー、オッケー。いける、いける。みたいなノリが心地よい。(歌詞をまんま貼りたいところですがあまりよくないので各々確認していただけると…)

ただそこで終わらないのがやっぱりBUMPで、手錠を外せ!飛んでいけ!と言っているヤツの手にもまた手錠が付いてる。おいおい取れねえな!と最後に言われます。変わろう変わろうというのもある意味手錠みたいなもので、多くのものに感銘を受けて自分も変わってみようということに気負いしすぎてる人に向けてはすごく優しく響くんじゃないかと思いました。昔は小気味いいながらもこちらを最後に殴ってくる結構な曲(もちろん好きでした。)だなあというのが感想でしたが、最近になって聴いてみるとそんな風に感じることもあってやっぱり聴くシチュエーションによってBUMPの歌は多くのものが変わるんだなあと実感しました。



Ending

タイトル通り。物語を受け取った僕たちに「君には味方がいるよ」と歌って終幕。BUMPがくれた歌は確かに僕の味方になっていると思います。
「プレゼント」の項で後々語るので長い説明はやめておきます。


おわり

というわけで第2回終了でございます。ここまで読んでいただいた皆様ありがとうございました。

THE LIVING DEAD」のアルバムを買ったのは5年も前ですが、最近は聴く機会をあまり設けていませんでした。この記事を書くにあたって聴き直してみたら当然5年の間で曲に対して今はまた違う考え方になっているなと気づきました。BUMP OF CHICKENの曲の魔法ってこういうことなんだなと。こういうところがすごく好きです。


では長々と語るのも野暮なのでこれにて。あらためてここまでの閲覧ありがとうございました。

CHICKEN'S トーク① FLAME VEIN


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ということでBUMP OF CHICKENのアルバムにひとつひとつ感想を述べていくという記事をシリーズのような感じで小出しにしていきます。
まずはインディーズレーベル時代最初のアルバム「FLAME VEIN」について。収録されている一曲一曲について何か自分の想いなどをぶつけていけたらと思います。

アルバムタイトルの由来はレコーディング中に血管が浮き出ていたことにインスピレーションを受けたこと。発売当時のキャッチコピーは「情熱は約束を守る」でした。(この言葉がすごく好き)
この時期のBUMP OF CHICKENと年齢が変わらない(ガラスのブルースのように曲自体ができたのは自分の年齢よりも若かったりするものもある)ところまで年を重ねてきたので、そういった感覚も大事にしていけたらといいなと。
曲によって書けることの長い短いがありますがあしからず。


ではさっそく始めていきます。


ガラスのブルース


つい先日の記事にてガラスのブルースについては思い入れを書いたので。

ちょっとだけ補足すると、前半でガラスの目をした猫が歌っているときのサビの「僕」と後半でガラスの目をした猫が星になった後のサビの「僕」っていうのは意味が違うと思うんですよね。前半は猫で、後半は猫じゃなくそれこそ歌を歌っているBUMP自身のことかもしれないし、これを聴いているこちら側のことかもしれない。今度はこっちが歌っていかなきゃならないんだと感じる後半の熱意はやっぱり好きだなあなんて思います。

くだらない唄

タンポポの咲く丘のお話。明日大人になる前にここで会おうと約束したけれど、あなたは来ない…なんてお話です。

「大人になんかなりたくない」というよりは「大人になる」という事実が淡々と降りかかってくることを歌っている。事実だからなりたくないなんて言ってられないし、それは本当に「ある」とか「ない」とかの事実でしかないんですよね。それに対して思い出を作ろうネクタイで迷わないようにしようと言うけれどやっぱり「背広もネクタイも見たくない」し「あなた」が来ないのも知っているし震えてしまう。そんな歌かなあと思いました。

「あなた」は来てくれないなんて薄情なやつだと思うかもしれませんが、来なかった「あなた」は怖かった大人の世界に入っていけたんだと考えたらある意味一人立ちしているとも考えられるんですよね。じゃあタンポポの丘にきて「あなた」を待ってぶるぶる震えてる「僕」が情けないやつなのかと言われたらそれもそうじゃなくて。「怖い」って正直に言うことがくだらないのかって言われたらそうじゃないと思うし、そういう声を聞いてあげる必要だってあるのかなあと。正直僕も怖いです。それは単に経験がないから甘えた考えなのかもしれませんが。
ただ不幸なことに「僕」の元に「あなた」が来ることはなかったので一人で立ち向かうしかない、これを事実として歌われているのが厳しいようで逆にいえばこういう状況に陥ってる人達へは「ああ、こういうことって自分だけが思ってるんじゃないんだ」くらいの助けにはなるんじゃないかなあと思います。

ちなみに曲のタイトルの由来は帰りの電車の40分くらいで詞を書いたからだそう。
怖いとか、この日を迎えたくないって気持ちは確かに甘えかもしれないけれどそれでもそういう気持ちがあるって言うのはくだらないことかなあと思うようなところに曲のタイトルがこう来るもんだからなかなかふむむむむむっとさせられます。多分それもわざとでしょうけど。

ちなみに昔ライブでこの曲を演奏するときにタンポポの花を取り出す客がおり、メンバーはその度に激怒していたらしい。そりゃ怒るわ。





アルエ

新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイに宛てられた曲。
そのエピソードとハートに巻いた包帯=心+布=怖 のくだりが結構有名だと思います。

曲が出来た経緯に呆気に取られがちですけれど、綾波レイって碇シンジ君とは間違いなく友達という関係に終われない(恋愛的な意味ではなく人と人として交わることが出来ない)し、そもそも綾波レイって個人がどこまで「綾波レイ」なのかも謎な部分があるんですよね。
そんな特異なキャラクターに対して作中で「綾波レイとして君に救われてほしい!」って歌うことは愛がなければ出来ないことなんじゃないかなあと。作中で「綾波レイ」として救済されてるのかって言われたら微妙なところがあるし、それに何か思ったからこの曲が出来たんじゃないかなあなんて思っています。

ある意味なにか作品を観て還元した「究極の恩返し」って言えばそうなるのかもしれないし、そういう人達を多く見てきた身としてはすごく見習いたいです。



リトルブレイバー

僕はまず「リトルブレイバー」という言葉が好きです。ブレイバーではなく、リトルブレイバー。

もしこの歌の中で出てくる人がブレイバーなら(一応出てくることは出てくるのですがまた少し違う)この曲は自分とは遠い存在になっていたと思います。守るべきものがある、守るべき人がくれる、ただそれだけでちょっと何かが変わる。行動に起こせたらとかではなく何か大事なものがあるならそれだけで「リトルブレイバー」。リトルブレイバーだから、この曲が響くんじゃないかなあと。

とは言ってもじゃあ一人一人がリトルブレイバーなんだと自覚してちょっと励まされた気になって終わりかと言えばそうではなくて、じゃあその大事なもののためにやれないことがあるのか?やれないのなら、そんな弱さなんて悲しいだろと問いかけてこられるのでやっぱりうぐっとなってしまう。

ただ、この曲を聴いてああ、道行く誰かも自分も皆リトルブレイバーなんだと鼓舞されることはやっぱりあるので、どっちも大事な気持ちなんだと思います。厳しくも聴こえるし優しくも聴こえる、聴いたその瞬間によって激励にも叱咤にもなり得るような歌だなあと。難しいです。



ノーヒットノーラン

スラッガーのお話。この曲の「ノーヒットノーラン」はピッチャーの業績の意味では使われていません。今日は未だ「ノーヒットノーラン」のスラッガーのお話です。

基本的に自分は前に立つ人間でないので積極的に自分の意見を言える人たちのことをとても尊敬していますし、それこそそういう方達はまさにスラッガーのように期待されたり、一目置かれたりしていると思います。

でも、そんなスラッガーも怯えたり逃げ場を求めたりしているんですよね。自分の考えを外に出していくのはいつも目にしているけれど本当は外に向けてすごく勇気のいることをしていて、僕自身こんなこと言って嫌われないかとか、誰かを不快にさせないかと考えてなかなか文章を外に出せないときもあります。実際に人に嫌な思いをさせたときにどうしていいかわからなくてただどうしようと頭を抱えるしかなかったこともありました。そういう瞬間のことは忘れられないから何度も反復されるし、その度に恥ずかしくなったり情けなく思ったりします。

だから僕が見ている人たちも僕のあずかり知らぬところできっと色々なものを抱えながらそれでも言葉にしていると思います。
きっと誰でもスラッガーになる、ならなきゃいけない時が来るんですよね。自分の言葉だったり自分の姿が誰かを鼓舞できる、その責任を持たなきゃいけない日がいつやって来るのかはまだわかりません。ただ、自分しか誰かのためになれないチャンスが訪れたときにものにするための向き合い方としてこの歌には「まかせろ!」と言われています。この歌そのものが僕にとってのスラッガーです。

そんな僕は未だノーヒットノーランです。お気に入りです、この歌。



とっておきの唄

数少ないラブソングの1つ。ラブソングなので語るのが難しいため手短です。

ただ、ラブソングといっても「君が好きだ」とか相手にそういう気持ちを伝えようということを中心に考えるよりかは君がいるから日常がキラキラしているんだよという、日常に寄り添って歌うBUMPの根本的なところはラブソングでも変わらないんだなと感じます。二人でいればどこでもいいし、ささいなことでもアルバムの中の思い出にしていくんですよね。
そもそもラブソングっていうのも誰に宛ててるかって言われたら個人というよりは(おこがましいようですけど)これを聴いているリスナーへのラブソングかもしれないし、ラブソングを公言してるだけで「君らしい君」という言葉が大事なのかもしれないし。ラブソングだからって身構える必要はないのかなあと最近になって思いました。

最近は人と出会って比較的自分を出しながら色んなところに行くことが多いので、いろんな場所に一緒に行った多くの方への親愛のラブソングとしても聴けるなあなんて最近は思っています。

少しキモい感じで終わりましたが次行きます。



ナイフ

隠しを除いてこのアルバムで唯一英語詞がある曲。インディーズ時代初期は英語の詞で曲を書くことが多かった(当人いわくメッセージ性の薄いめちゃくちゃな英語の歌)のですが、その余韻というか影響が見られることもあってなんとなく「雰囲気が違う」のは感じます。歌詞からしても雰囲気が違うような気がしているので。

「ナイフ」っていう物(と言葉)自体に結構攻撃性があるというか、ナイフは危険なものという認識が強いのですが、歌の中では望めば望むほど隠したナイフは鋭くなるというように、このしみったれた現状にナイフで立ち向かえ!という意味がなおさら強くなっているのかなあなんて。
まあでもそのしみったれた現状を作っているのはやっぱり自分で、お前なにか忘れてないか?というのを問いかけてくるようななんだか不思議な曲です。

でも最終的に歌われるのはPROVE YOURSELF!なんですよね。



DANNY

隠しトラックに収録。ガラスのブルースよりも前に製作された歌。隠しトラックは解説するつもりはありませんでしたがこの曲だけはちょっとだけ触れたいと思います。

前述した通り英語で詞を書いていた時期があり、その時の歌(なんと高校一年生のときに出来た曲)ですが本人達いわく「初めてメッセージ性を込めた」歌だそう。

歌の内容はダニーという名前の飼い犬が朝起きたら隣の庭の犬とケンカしていて、それを見てダニー頑張れ!ダニー頑張れ!というもの。瀕死になったダニーに「DANNY, I love you!」と言いながら頑張れ頑張れというこの曲、結構涙腺というかいろいろ刺激されます。

歌のしょっぱなから「When the morning」というめちゃくちゃな英語ですが、文法とかどうでもいいんですよね。ダニー頑張れ!ダニー頑張れ!っていう気持ちが大事で、BUMP OF CHICKENが最初に込めたメッセージが「頑張れ」なのもすごくあたたかくて何度も聴いています。

「頑張れ」って言葉って時には無責任というか、だからこそ前述のリトルブレイバーなどはその無責任な言葉だけが残らないようにただ事実だけを歌っているんだと思います。事実だからこっちには優しくも厳しくも聞こえるような歌をたくさん作っているんだと思いますが、それでも「DANNY」はその熱量が全てというか、「頑張れ」と言われることがすごく心地のいい歌です。

今でもDANNYはライブのアンコールなどで歌われていてある意味ガラスのブルースとこの歌が原点として言われることが多いですし、僕もそう思います。

早くDANNYをカラオケに収録してください。(歌詞が公式発表と音源で違うのと隠しだからっていうので多分無理だろうが。)



おわり

そんなこんなで「FLAME VEIN」感想、以上になります。
自分で文章にするにあたってこの言い回しと俺が言いたいこと違うなとか、こうやって形にしてみると俺ってこうやって聴いてるんだなとか、他にもこうだよなとか多く気づけることがあって改めてBUMP OF CHICKENが好きなのだと実感しています。

もしかしたらこのシリーズ途中で無くなる可能性がありますが(濃厚)、出来る限り、それでいてゆるりと続けていくので皆様もゆるりと楽しんでくれればと思います。


最後までこの記事を見てくださってありがとうございました。この記事を読んでこれ聴いてみたけどこんなこと感じたよっていうのがあったら言っていただけるととても嬉しいです。

では、この記事はこれにて。さようなら。