いちリトルデーモンの墓場

創作物の感想の雑記を載せます

ぷよぷよ新作ありがとうございます

ぷよが正式にeスポーツ化した波に乗って「ぷよぷよeスポーツ」なるゲームが発売決定したのでわたくし歓喜しました。



新作嬉しいな~と思ってたら一部キャラのリストラがおかしいとか遊び要素が少ないからちゃんとした漫才デモのある新作がよかったとかまあいろいろ聞きましたけど、ぷよぷよっていう自分の好きなゲームそのものにお金を落とせるチャンスなのでそういう意味でもそういう人こそ買ったほうがいいんじゃないかな~とは思いました。



AC版でもこの新しい作品で展開していくみたいなので、プロ認定されてる人でなくとも買うなりプレイするなりいちユーザーがたくさん集まってじゃんじゃん盛り上げていけばまたぷよの新作出るかもしれませんし。



あとは今はぷよクエ主流だからな~と勝手に思っていたもののこうしてキャラがいないぞ💢💢💢💢💢とか話題になるのもなんやかんやぷよ本家、まだまだちゃんと愛されてるな~と思いました。や、それはそれとしてあんま悪印象なのはちょっと好きじゃないですけどね。



自分はPS4版を買うのでもし買うよ~って方がいましたらぜひ対戦なりなんなりしましょう。ぜひ。

のんびり

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明治神宮球場にヤクルトvs中日の試合を友達と観に行きました。



野球観戦行ったの初めてでどのチームが贔屓とかはないから友達と一緒にヤクルト応援したけど、ホームランでの失点をホームランで逆転して勝って終われたから気持ちのいい試合でした。



見通しのいい球場はいい感じに晴れてて風が気持ちよかった。



前の座席にいたおじいさんがホームランのときとか勝ったときとかこっちに手を向けてハイタッチしてくれました。

そのおじいさんは得点時の傘降るパフォーマンス一緒にやったり応援歌も叫んでたりして暖かい気持ちになった。
はた目で見ても楽しい生き方で凄く羨ましいなと思いました。




こういう風にのんびり出来る日もいつまであるかわからないから、真面目に何かしてる時のことものんびりしてる時ことも、たくさん詰まったものを何でもいいから残せればいいなと思った。



文章なり口からでた言葉だったり、絵でも工作でも何でもいいから誰かに伝えていくことを活力に出来たらな、なんてそのおじいさんの姿を見て思いました。



今日は楽しかった。


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透明な君たちへ

BUMP OF CHICKENのrayが好きなので藤原さんのコードをじゃんじゃか鳴らしながら一人遊びしてたら、なんだかノスタルジックな気持ちになったので少しだけ何か書きます。





rayは初音ミクBUMP OF CHICKENがコラボしてる曲でもあって、初音ミクとコラボしたrayの音源もDL販売してるほかにWILLPOLIS2014の東京ドーム公演だと一緒にライブまでやってるんですね~。



まあこのrayについてとか他のものについてもちょっと思ったこととか色々書いてこうかなってことで。



BUMP OF CHICKENのray

「生きるのは最高だ」っていうところが一番好きなフレーズなんですけど、rayより前の曲でこういう直球な言葉って無かったかなと思って。
いつか再会するためにまだ歩いていこう。
歩いていく以外選択肢はないけれどその道中には力になるなにかがある。
まだ生きている。
こういうことを他の言葉にして歌ってきたけれど直接言葉に出たのは初めてなのかな?なんて思ったり。

ギルドは似てるかなと思ったけどあれはもうちょっと心が下層に行ってるというか切り口が違うかな、と。
rayも明るいサウンドに比べて詞の内容は喪失についてだからココロの暗い部分を描いてはいるけども。



君とお別れしたことで見なくちゃいけないものとそろそろ向き合うときがきたり痛みを感じたりすることもあるけど、君とお別れしてひとりになったからこそ、ひとりでも君と見たものが消えた訳じゃないって気づけたわけで、

「ひとり」っていう単なる事実がなにより重いのを知ってるBUMP OF CHICKENだからこそ、「孤独」って言葉を使ったりしないし「ひとり」でいる人たちのもとに歌が届いてるんじゃないかな?といつも思います。

こういうことを考え始めると社会のシステムとかに問題を投げ掛けるとか自分を見つめ直すとかが起きがちだけれどそういうことではなくて、「だって、そんなこと言ったってそうじゃないか」っていうことをネガティブに投げてきたりとかするわけでもなく、同じようにそんなことを考えてる人に手を伸ばすべく彼らが限界まで煮詰めたものが音楽になってるんだなあとは感じます。

思ってることを書こうとするだけでも、これはだいぶ身に染みるというか言葉にならないときがあるからね。



長くなりましたけど要するに「無くしてばっかりだけど、無くしたのかな?」って話が好きだなってだけですね。



初音ミクのray

初音ミクとコラボしてる以上はこれを歌うミクの物語もまた自然に生まれるっていうか、思うところがあるのもまた面白いかな?



まあrayの歌詞をそのままミクというキャラクターのストーリーに当てはめるというか、BUMPの物語性があればそれは簡単だと思います。
簡単だと思うけど、その中でもグッとくるのは「透明だから無くならない」ってフレーズですかね。



最近はバーチャルYoutuberの存在とかもあって初音ミクっていうものの認識がまたちょっと変化してるように思うけど、それでも言ってしまえば初音ミクっていうキャラクターが在ることはこっち側に委ねられてるわけで。

いつどのタイミングでミクがいなくなるのかっていったら自分が忘れたときで、「人に忘れられたときが人が死ぬとき」なんて言葉もありますけど、自分が思うのは自分ひとりが忘れてもその人が寿命を迎えるまでは事象として存在してるわけでいなくなるっていうプロセスが2段階あるわけじゃないですか。
当然rayは事象の話としての内容はあるけど主題はそっちじゃないかなって思いますが。

ところが初音ミクは人の数だけ存在するけれどそれぞれの初音ミクがいなくなるのはたった1度のタイミングというか。
うまく説明出来てなくて申し訳ありませぬ。



じゃあミクっていう存在を忘れたら何も残らないのかっていったらやっぱ無くならないわけで、ミクを通して聴いてきた楽曲とかで自分の感性がちょっと変わったり、なんかやってみようかなとかとにかく何でもいいからゆらぎみたいなのが出来ると思うんですよ。

そのゆらぎがそこにいた証拠というか、消えてないというか。
これまんま生きている人間にも言えることだからミクに置き換える必要なかったかもしれないですけど、ただミクという彼女の迎えた忘却が早かった人とかは思うところがあるんじゃないかな?と。



あとはさっき言ったように事象としてミクがいなくならないというか、喪失の話とは違うけど再び会えますからね。
あの時聴いてた曲はそういえば…とかどんな形でも思い出せば。
ただ、いなくなったことについてちゃんと考えてるかな?っていう契機にはなるかなと。



この文書いてる数時間前にふとVOCALOID楽曲のことを考え出したので、ミクが帰って来たというかもう一度出会ったというか、なんかタイムリーな感じになったので思ったことを書いてみました。

ミクの話この辺で終わりますがもう少し続きます。



・何処にいるかはわからんけど

無くしてばっかりで誰かに何もあげられなかったと思ってたけれど、実は無くなってなかったりあなたがいることで助けになってた誰かがいるんですよってお話が好きかなっていうだけの内容です。



受け取ったと思ったものがいや、実は受け取ってないんじゃないかとか、無くしちゃったんじゃないのかとか、目を背けてるだけなのかとか一時のテンションの高まりみたいにある時ふと感じてしまうことが自分は多いので、ある意味そんなことないぞって自分に言い聞かせる内容になりますね。

まあこれ書いて数時間したらまた目を背けてるだけなのかってなりそうですけど。



でもやっぱり自分がそんなんだから勝手に共感じゃないけど、自分の心の中の何処にいったのかも分からない彼らに貰ったなって感じることもやっぱあって、
それは僕にとっては


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自分の居場所など無いと思ってたのに自分を見てくれる人とか、頼りにしたい人が出来たり逆に自分を頼りにしてくれる人が出来たり、何度気づいてもまた何度も否定されて、そしてその後また何度も気付いてきた桐山零くんの姿だったり、


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そもそもこんな自分のことすら考えてなかった自分を、普通ってなんだろうとか残るってなんだろうとか前に進んで戻ってきて、また前に進んでその姿をもって多分変えてくれた9人の姿だったり、



彼らから得たと思っていることを否定したり忘れたりそういう日って多分どっかで来ると思うんですけど、
透明な彼らが自分と共にそこあったことは多分この先身体に染み込んでるといいなっていう、まあただの願望なんですけど、残ってたらいいなって思います。

そういう風にこのまま感じていけたらいいなって。




・おわり

別に大したこと書いてるわけでなく結局どこかで通らなきゃいけない過程について長々書いただけなのでまあ中身があるわけでもないかもしれないです。

というよりこれほとんど自分宛のメッセージになってると思いますけど、まあ普段頭わるわるなことしか言ってないのでこういう風にちょっとくらい知恵絞る機会も大事かな。

自分は他人に議論というか、文章読んだ後にこう考えさせたり心に置いてくようなものは書けないですけど、それでも今これを読んでいる方がいるのなら凄く嬉しいです。





書くことがなくなってきたのでこのへんで終わります。

ありがとうございました。

ぷよプレイ集

11の刃編

13の雷編



みんな、ぷよぷよで遊ぼうぜ。

映画観た

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ルパパトとビルドの映画行って来ました~。面白かった。


日曜日の朝だったから親子連れが沢山来てる中一人で行って来ました。
あの子達は今日の最終回観てきたのかな?
自分はちょうど45話(この話の後が映画のストーリー)で止まってるけど。





・ルパパト
今期の戦隊観てなかったから映画が初めてだったけどルパンレンジャーがめちゃめちゃオシャレというか色気があって一瞬ですこになった。ブルーの声がかっこいい。パトレンジャーも古き良きって感じですこだった。

両サイドについてるポジションの人いたし戦隊が対立してる様子とかハリケンジャーみたいだなって思った。いや違うんだけどね。

あと変身のギミックがめっちゃかっこよかった。銃をガチャってやる仕草とか銃を使ったアクションが開幕数分からかっこよすぎて、もう一回観てみたいななんて思ったりした。

戦隊お決まりの巨大化戦闘ウルトラマンのファイティングエボリューションみたいだった。3とかリバースとかみたいな。

本来ありえない共闘をさせる映画だったから観てる人にはもちろん新規にもわかるようにキャラクターの熱さがあって良かった。





・ビルド
映画限定ライダー達の変身音がかっこよかった。玩具が軒並みプレバンだけどまた音声聞きたいな。特にブラッドがかっこよすぎ。

最初はパニックホラー観てるみたいでまた別の面白さがあった。ゾンビ映画みたいだった。

後半は、戦兎くんの自分がどこにあるのかわからなくなったときに龍我がいたからここまでこれたっていうのがよかった。他人がいるから自分のことがわかるって話が好きだからなおさら。1年観てるとこういう掛け合いとかの積み重ねが月日という実感を持ってわかるからいいなあと思った。

ギャグでたくさん笑って本筋でたくさん感動していい映画だった。カズミンとか幻さんが一人で奮闘してるところとかはまだTV本編ちゃんと観てないけど先の展開少し知ってるからちょっと泣きそうになった。

みーたんが群衆に紛れてるときのシーンが個人的にめっちゃすき。

入場者特典で貰ったカードは内海さんも加わっていつものメンバーが笑ってたので映画始まる前から心があたたまった。50話近くこうして笑ってわいわいしてることのかけがえのなさを見せてきたからこそだし、こういうのも積み重ねだったなとなんとなく思った。






去年のエグゼイドの記事真面目に書きすぎたしまあフラットに書きたかったので今回はこんな感じですね。
とは言いつつ、もちろんどっちの映画も比べるわけでなく大好きです。



なんというか夏の雰囲気を感じる爽やかな映画だったし8月中に観られてよかった。
ビルドは最終回迎えたけど同時にジオウも始まるし楽しみ。
ルパパトも映画で興味出てきたしどうせ東映特撮FC入るから観てみよかな。
観てる人も多いからお話できること増えそうだし。

おわり。





全然関係ないけど、映画の最後にオールライダー俯瞰で出て来たからカブトに目を移したら相手の攻撃かわしてパンチぼこぼこぼこって3回くらいカウンターするやつやってて、たった数秒の短いシーンでもあ、天道のカブトだ!ってなったのスーアクさん凄いなって思った。

無題

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家の冷蔵庫にはこんな紙が貼ってある。

これ書いたのいつだったかは覚えてないけど幼稚園のときくらいだったか、まだ小学校には上がってなかった5歳くらいの頃だったかな。



といっても自分で考えたわけでは勿論なくて当時母が買ってくれていた「コミックボンボン」で連載してた「SDガンダム フルカラー劇場」の一節だったはず。

ガシャポンSDガンダムが流行ってた時の4コマギャク漫画で、なんの回かは忘れたけどたまたまそこに載ってたセリフを5歳くらいながら良い言葉だなってテキトーな紙に書いて、それを母が良い言葉だねって2018年現在までずっと貼ってある。



この言葉、あと何年残るのかな。

やっぱりこういうモノってどうしてもいつかは無くなっちゃうじゃないですか。

自分がもし父親になってお爺ちゃんになって子供とか孫にこの話をしても、当時母と自分が感じたインスピレーションとか良い言葉だなっていうの全く伝わらなくて、当事者である誰かがいなくなればこの言葉も自然と消えていってしまうのだろうし。



今やってるみたいに文章とか写真とか何でもいいからデータとして保存しても決定的に伝わらない残らないものがあるのは明白で、この紙ってきっと自分にとっても多分母にとっても宝物なんじゃないかなと思ってもその宝物もずっと残らないっていうのが現実で、ほとんど命といっしょなのかな。

それとも思い出なんだから自分たちの命とかと紐付けされてて当たり前なのかはわからないけど、とにかくいつかは物理的だけでなくもっと観念的な何かって消えちゃうんだなと。



書いてて思い出したことがもう一つあって、これも同じくらいの年齢のときに描いたものでアンパンマンの絵がまだ写真立てに入って部屋に飾られてる。

当時の自分が何を思ったのかは知らんけど「クイズ」って書いてアンパンマンの絵を書いてそれを当ててくれて絵を褒めてくれたのを喜んだんだっけな。



記憶がどこまで続くのかとか、ものが消えていくことをたまに考えてしまうけどそのたびに怖くなる。
呼吸に詰まったような感覚がするときさえある。



明日もしこの紙が無くなったらきっと喪失に襲われる。それは思い出がくっついたモノが無くなったというより、ああ、終わるんだ、消えるんだって自覚したとき心のピースがひとつひとつ無くなっていくことが多分怖いんだろうな。



こんなことダラダラ長くここまで書くほどのことじゃないのはわかってるんですよね、向き合う機会に差はあれど誰でもわかってることだから。

宝物が消えたら自分が今度は誰かの宝物を作ってあげなきゃっていうのもわかってることで、それは丁度母がしてくれたことだから。

というかもしこの言葉が消えるときが来たなら、やるべきなのはこの言葉そのものに収まらない、あのときのあの気持ちがDNAみたいに伝わるようなことなんだろなと思うんです。それは些細にしろダイナミックにしろどんな方法でも良いけれど、結局これも当たり前のことで書くようなことでもなかったりするんですけどね。



今の自分にはどうやってそれをしていけばいいのか全然わからないけれど、いつかわかるようになるのかな。

命の話は自分にはどうしても荷が重いからモノとものの話をしてみたけど、結局命の話なのかもしれないしよくわからない。



でもやっぱり終わることが前提であるから刹那的になったり人に何か渡していくことを綺麗事とは言いたくないなっていうだけですね。
ここまで書いちゃったし、未来の自分がここで書いたものあんま否定しないで欲しいな~。



何書いてるかわからなくなってきたし馬鹿の書いた長文みたいになってきたのでそろそろやめます。




魔法の料理、こんな良い曲だったんだなって感じたので少し書きました。

お誕生日おめでとう

本当におめでとう。